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カラン(銭湯業界用語で蛇口の事です。)


清水湯では最新式のカランを使用しているので故障が結構多くて、先日、完全にメンテナンスを完全攻略しようと思い、全部ばらして(新品と故障したカランの比較)一つ一つ検証してみました。今まで少し不明瞭だったカランの構造と実は仕様自体が変更していることに気が付きました。それも複数のパーツが。何故風呂屋の旦那がメンテナンスを覚えないといけないのかというと、故障は早急に直すのが鉄則なんです。でもすべて業者任せにしていると結構レスポンスが遅くなることもしばしば、出来ることは自分でやるのが清水湯の流儀なんです。正直何でもやります(キリッ笑)ただカランは新しいタイプに変えたばかりでいまいち理解していなかったので、そろそろ本気で理解しようと思いました。であまりにも故障の多いカランを新旧の二つを完全分解してみて完全に理解できましたので、ひょっとしたら同じカランを使っている同業者の方もいると思いますし、何にしろ三代目のカラン分解図の忘備録として何か知らの形に残しておいたほうが良いと思いブログにしちゃいます。興味の無い方には、何のことやらさっぱり分からないと思いますが、こんなこともするんだーと思いながら読んでいただければ嬉しいです。

毎日磨き上げています。あひるちゃんより。

まず、カランを分解する。

①上部の取っ手の部分は2通りの外し方があることに気が付く。一つは取っ手を引き上げて六角ネジを回して外す方法と取っ手を回して外す方法の2種類。外して中の心棒長さを確認。この心棒がしたのコマを押し下げてお湯を出す仕組みになっています。

②下のふたを外す。中にスプリング、コマが入っている。ここで気を付けるのはコマにはネジ式のリングが付いているのでゆるみがないか確認。スプリングの強さは純正の強度が適正。

③分解するのはこの2点。次に確認することは、カラン自体に汚物が詰まっていないかライトをカランの出口または根元に光をあてて確認する。

④配管自体の詰まりも確認。カランを外した状態で、カラン循環のポンプを手動にしてお湯を出してみる。自然と配管に詰まっていた沈着物は取れるはず。

⑤上記の操作、確認で欠陥が見つからない場合は、速やかにコマを取り替えてみる。ほぼこの一連の流れで最終的には(初めからコマを交換していい)コマの交換で水、お湯の出は回復する事が確認できました。

ピカピカです。☆

上記のカランは和栗工業のプッシュ式カラン。故障する最大の原因は過度の使用頻度による経年変化だと思います。和栗さんの製品は頑丈で定評がありますので、ありがたい話なのですが、沢山のお客様に使っていただいてカランも喜んでいると思います。今後はコマの、摩擦係数を減らすことが出来ればコマのリサイクルも可能か確認してみようと思います。

武蔵小山温泉・清水湯3代目談(浴場設備のメンテナンスの方法の記録)

療養泉の規定。


療養泉には、一定の規定があるんです。それは【鉱泉のうちで温度と成分の質、濃度から「特に治療の目的に供しうるもの」を「療養泉」と言います。療養泉の基準は条件に合わせて泉質名がつけられ、それぞれの適応症や利用法を表示することが認められています。この基準は1957年の「衛生検査指針鉱泉分析法・療養泉の規定」によって決められました。最新の基準は2002年の環境自然環境局の「鉱泉分析指針法(改訂)」になります。

やはり黄金の湯は良いです。笑

(その後の改訂は未確認)同指針によりますと療養泉とは、①源泉での温度が25度以上ある。②ガス性のものを除く溶存物質の濃度が泉水1キログラム中に1000ミリグラム以上あるか。③銅イオン、アルミニウムイオン、ヨウ化物イオンなど7種類の物質のうち、ひとつでも既定量を超えていて。④温泉医学の経験から医療効果が期待できる鉱泉。となっています。面白いのが温泉効果に対して、ラテン系の人たち(フランス、イタリアなど)は温泉の質に関係なくある症状や疾病に医療的な効果があれば療養泉と考えるのに対して、ゲルマン系(ドイツ、オーストリア、スイス、ロシア)などの人たちは温泉成分と濃度に基準値を求め温泉の物理的、化学的な基準に基づいて療養泉と認定している点が異なっています。日本人の療養泉の考え方は総じてゲルマン的な思考法と同じで温泉成分の濃度などに療養泉としての基準にこだわっているようです。】

毎日、入っています・・・笑

さて、清水湯の黄金の湯はそれこそ温泉成分が非常に高く、療養泉のなかでもかなり濃い成分で満たされています。この贅沢ともいえる天然温泉を450円という銭湯価格で堪能できるなんて最高にお得ですよ。また温泉に入浴して体を温めるだけでも健康になるのですから春夏秋冬、温泉を生活の一部にして健康的で幸せな長生き人生を享受してみてはいかがでしょうか。

参考文献、温泉と健康 阿岸祐幸著  加温生活 伊藤要子著

武蔵小山温泉・清水湯3代目談

HSP(ヒートショックプロテイン)とは?


体温と病気の関連を端的に表わすとしたら「冷えは万病の元」という言葉で表すことができるのでしょう。風邪やインフルも罹る(かかる)共通点は疲れやストレスもありますが、基本的には身体の冷え(環境や身体活動の低下など)が原因であることが多いようです。最近の理論からHSP(ヒートショックプロテイン)という冷えとは真逆の身体を温めることにより免疫力を増強して病気にならないような身体作りを可能にする理論が脚光を浴びて来ています。今までは、単純にお婆ちゃんの知恵袋的な感じで「冷えは万病の元」と連呼していましたが、エビデンス(科学的論拠)として実証されだしてきています。

またまた登場HSP(ヒートショックプロテイン)理論。

その中でもHSP(ヒートショックプロテイン)の効能を何点か挙げたいと思います。気分よく!前向きに!向上心をもって!というように元気一杯に生きていきたい人には最適な考え方に通じるかもしれません。

・余裕のある生き方、プラスαの健康、体力を与えるのがヒートショックプロテインです。

・自然治癒力を高めて、ストレスで傷ついたタンパク質を修復してくれるのがヒートショックプロテインです。

・体は水分を除いてほとんどがタンパク質で出来ています。傷ついたタンパク質を修復するヒートショックプロテインは「健康の万能薬」です。

HSPと言えば温泉でしょう。笑

医学の父ヒポクラテスも「薬で治らなければ手術で治すことが出来る、手術で治らなければ“熱”によって治すことが出来る、」と“熱”いわゆる“温熱”が病気の治療、予防法として非常に有効な手段だと述べています。これら引用させていただいている愛知医科大学の伊藤要子先生も仰っているように簡単にHSPを増やすには、お風呂に入ることを勧めています。難しい理論も大切ですが、まずは心も体もホット一息、清水湯の温泉力抜群の2つの天然温泉でHSPを高めてつまらない病気など吹き飛ばして健康生活を満喫しようではありませんか。

参考文献、伊藤要子著、加温生活(ヒートショックプロテインがあなたを健康にする)

武蔵小山温泉・清水湯3代目談。

OK!アイラブゆー、矢沢永吉(カッコよすぎる!)


皆さま、武蔵小山温泉の日頃からのご愛玩、真にありがとうございます!常に清潔に、常に明るく、常にお客様と共々に成長していけるように初心を忘れずに銭湯道に邁進してまいります。ところで、日々の営業の中ではやはり、寝不足や、体調不良(銭湯のプロとしては体調管理は必須ですが)など疲れや、種々問題も出てくるものです。人生平坦な道なんかありませんから。僕の場合、朝に勝つ!まず朝の出発から勝負をかけています。風呂屋は夜が遅くて朝が遅いのが通説ですが、僕は“早起きは三文の得”を真剣に信じています。

この当時、小学5年、永ちゃんにはまりました。笑

通常営業時はお風呂の掃除が終わってから寝るのが大体夜中の3時ごろ、子供たちに朝、学校に行く前に空手の朝練(と言っても一人5分づつ基本稽古の復習ですが)を行いますので、必ず6時50分に起きます。おそらく風呂屋で6時台に起きているのは全国の銭湯界でも珍しいかもしれません。(良く風呂組合に行って話をすると大体が昼ごろ、早くて9時、10時なんてザラです。)ま、それはそれとして、どんな世界にも必ず先生や師匠っているものですが、僕の場合は、元気の元は「矢沢永吉」さんです。

昔もいいけど今も最高です!

やはり男の中の男、断崖絶壁から不死鳥のように甦った不撓不屈の男!そのように認識しています。ちょっと辛いことがあっても、永ちゃんの苦労を考えれば、自分の苦労など大したことないと思えるから不思議です。有言実行、1から本当のたたき上げ、永ちゃんは「成り上がり」と言っていましたが・・・。でも昨年のコンサートに行った時も還暦すぎても本当にカッコいいんですよね!「最高!」です。僕もあーいう還暦オヤジになりたいものです。最高に憧れる、それが最高の銭湯を造っていく原動力になっていくんですよね。笑。これからも、さらに清水湯を皆さまに喜んでいただける最高!銭湯にしていきますので、何卒、宜しくお願い申し上げます。

武蔵小山温泉・清水湯3代目談。

矢沢永吉 http://www.eikichiyazawa.com/

江戸時代の銭湯。


いわゆる町湯(風呂屋・銭湯)がいつ頃から商売として広まってきたかというと大体江戸時代ではないかと言われています。江戸時代の銭湯の発祥の地としては現在の中央区にある「日本銀行本店」の前の常盤橋を渡った、常盤橋公園の前付近とされています。現在はその場所に江戸時代の銭湯の発祥の地として記念のプレートが立っています。この銭湯は徳川家康が江戸の入府した翌年、天正19年(1591年)に伊勢出身の与市(よいち)という人が初めて銭湯を江戸でいとなんだとされています。江戸時代の三浦浄心の随筆集「慶長見聞録」に記されている一部を転写しておきます。

よく見るとすごいな~。

江戸の冬至の風呂文化が垣間見えるかもしれません。「江戸の繁盛のはじめ、天正19年の夏のころ、伊勢の与市という者が、銭瓶橋のほとりに、せんとう風呂を1つ立てた。風呂は永楽1銭だった。昔めずらしがって入った。しかしながら、その頃は、風呂に不慣れな物がたくさんいて 「あら熱の湯の雫や、息がつまりて物もいはれず、煙にて目もあけらるぬ」などと言って、小風呂の口に立ちふさがった。(江戸の人は)風呂を好んだので、今は町毎に風呂あり、びた十五銭、二十銭ずつで入っている。」とあります。

いわゆる蒸し風呂(ざくろ口がみえます。)なんですね。

本当に当時の江戸の町に銭湯が町民の役に立っているのが表現されていますよね。このような歴史文献をもとに少しでも銭湯の認知度、利用度が向上することが清水湯・三代目の役割だと思っていますので、更に沢山の銭湯関連の勉強をして皆さまに、色んな角度から銭湯と温泉の健康法の情報を提供してまいりたいと常に考えております。さて上段の抜粋文から読み取れるように、江戸時代の当時の銭湯は現在の浴槽にお湯が張ってある様式のものではなく、いわゆる蒸し風呂だったと推測されます。もとは京都に銭湯の原型のようなものがあったとされていますから、伊勢の与市も伊勢方面から江戸に銭湯をもってきて成功した江戸時代の実業家だったのかもしれません。また当時の江戸は日本の高温多湿の気候と道路が整備されている訳ではなく土埃っぽい街並みだったとされていますので、また日本全国から集まってきた城普請(建築関係)などの労働者などから形成された江戸の民衆群にはこの江戸時代に出来た銭湯は相当重宝されて大人気であったようです。また銭湯が地域のなかで再び脚光が集まるような時代が来ることを夢見ながら更に皆様に喜ばれる銭湯創りをしてまいりたいと思います。

参考文献

江戸の風呂について http://1010.or.jp/history/02.php

江戸の風呂(本) http://www.amazon.co.jp/%E6%B1%9F%E6%88%B8%E3%81%AE%E9%A2%A8%E5%91%82-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E4%BB%8A%E9%87%8E-%E4%BF%A1%E9%9B%84/dp/4106003554

NHK歴史に好奇心 あ~極楽の銭湯史 http://www.yunokuni.com/ohulog_men/archives/2008/10/nhk.html

武蔵小山温泉・清水湯三代目談。

 

 

 

 

風呂触れ合うも多生の縁(清水湯を愛していただいております皆さまに☆彡)


風呂触れ合うも多生の縁?風呂屋に多生の縁ってなんぞや?と思われると思います(笑)実は場所取りの改善のお願いブログをどのように書けばいいのかずーっと悩んでいたんですね。この場所取り、頭の痛い問題で全ての責任と過失は3代目の僕にありますので本当に申し訳ない気持ちで一杯です。そもそもこの場所取りの問題は本当に清水湯を熱烈に愛していただいているお客様同士でもあることなのですが、建替え以前から多少ともありましたが、リニューアル後、以前あった席数が女子風呂だけでも30席が、現在は18席で以前より12席も減っているのです。日本全国のスーパー銭湯、温泉場の浴場施設を丹念に視察に行ってきて分かったことが席(カラン)の数が思いのほか少ないこと、あの箱根の天山でさえも中風呂の席は思いのほか多くはないのです。露天にもありそれは数には入れていませんが・・・

「ここは私の席よ」は存在しないんです・・・。

いわゆる導線がしっかりしていれば、席の数はそんなに問題にはならないと計算していました。しかしオープンから特に女子のお風呂に関してはいまだに場所取りの問題がありまして本当に申し訳なく思っております。お風呂に入ってから出るまでは「私の席」と言う方と限りある席を「譲り合って使いましょう」と言う方の相違が一部あるのですが、清水湯の考え方としては、あくまでもお風呂に入る時まで、洗い場の席を自分の場所として確保しないで席を立つ時は洗面道具を一旦、所定の棚に置いて「他のお客様にお譲り」いただくことをお願いいたしております。皆さま、本当にすべて大事なお客様なので仲良く楽しくお風呂ライフを楽しんでいただきたいのですが、もう一つ計算違いがあるとしたら、リニューアル後こんなに沢山のお客様に来ていただけるとは思ってもいなかったことなんです。

ゆずり合いましょう♡

風呂屋は地域の唯一、裸のお付き合いの出来る昔からの社交場であり、そこでは子供から大人まで礼儀や、礼節を自然と覚えられる地域のコミュニティーなんですね。ですから風呂屋としては本当に『同じ釜の飯』と同じように『同じ風呂の仲間』、または『袖触れ合うも多生の縁』のように『風呂触れ合うも多生の縁』ぐらいな感じでお互い気持ちよく譲り合ってご利用いただけたらと思います。いずれ次の4代目がもっと良い風呂屋を作り変えてくれると思いますので・・・(笑)まだ小学1年生ですが・・・それまでは、少しご不便をおかけいたしますが、何卒、気持ちよくお互い譲り合ってご利用いただければ嬉しいです。ちなみにスタッフも浴場内の見回り強化、場所取りの洗面道具の片づけなど強化しております。もし、場所取り等で嫌な思いをされた場合脱衣場のインターフォンでご遠慮なく一報いただけましたら直ぐに対応させていただきますので何卒宜しくお願い申し上げます。

武蔵小山温泉・清水湯3代目。

 

 

銭湯の出現は鎌倉時代か!?


銭湯、字の如く銭(料金)を徴収してお湯に入ってもらうという入浴形態が出来始めたのは、いつ頃からなのでしょうか?12世紀(1200年ごろ)の説話集、「今昔物語」にもありますが、「東山へ湯浴みにとて人を誘ひ」とありますように、平安時代には京都に銭湯があったようです。また 「吾妻鏡」(あずまかがみ)鎌倉時代に出来た日本の歴史書にも、湯屋(銭湯)の記述が残っています。「湯銭」という記述のある文献も鎌倉時代には残っていることを考えると平安時代から鎌倉時代には銭湯の原型というべき湯屋の形態が出来上がっていたと考えられます。

今回は銭湯博士の町田忍先生のNHK教育で放映内容です。

また京都の寺の「祇園執行日記」にも祇園社内で銭湯を営むと言う記述があります。「太平記」の1360年の記述には「湯屋風呂の女堂部」という記述があり風呂屋で女性が働いていたと書かれています。永享2年(1430年)には日本に来た朝鮮特使が「日本人は大人も子供も沐浴を好み、町中には銭湯があって、沸けば角ぶえを鳴らしてこれを告げ、人々は湯銭を払って入浴する」と記録されています。

町田先生の著書。大体持っています。

室町時代の作品、「洛中洛外図屏風」にも、庶民が楽しそうに蒸風呂にはいっている様子が描かれています。このようにお風呂文化って凄く歴史があるものなんだと、改めて思いますし昔も今も庶民の中で育まれていって、人々の中で楽しんでもらっていたことを考えるとこれからも銭湯の歴史を残していけるように武蔵小山の地で清水湯の灯を絶やさないでいこうと思いました。

参考文献 吾妻鏡 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%BE%E5%A6%BB%E9%8F%A1

NHK 歴史に好奇心 あ~極楽の銭湯史 町田忍著

武蔵小山温泉・清水湯3代目談。

牛太郎デビュー☆(昭和な異空間にトリップしたい方はおススメです。笑)


ついに武蔵小山の異空間にトリップしてまいりました。笑。武蔵小山の老舗中の老舗。ムサコっ子の心の故郷、牛太郎デビューを飾ることが出来ました。その日は、平日のお風呂業務を2時間ぐらい過ぎたころ、カイロ(プラクテック)の師匠から電話があり、「今、武蔵小山に着いて、牛太郎に行くけど来ない?」と誘われました。仕事中でしたが、前々から牛太郎ブログを書きたかったので、取材と割り切り、迷わず「行きます!」と答えました。となりのラーメンICHIはよく行くのですが、牛太郎は何故か今まで行く機会がなかったのでルンルン気分で暖簾(のれん)をくぐるとすでにカウンターだけの席は一つが空いているだけで、かろうじて席に座ることが出来ました。時間にして午後2時半ごろ、ムサコDEEP酒場ではすでに赤ら顔のおじさん達で一杯です。

このキュウリが美味しいのなんのって。

焼きとんも絶品!

これが、武蔵小山のDEEP(地元民)の姿なんだとあらためて思いました。完全に下町です・・・。今回、このお昼を少し回ったぐらいの時間帯に飲み屋に行っても絶対飲まないと決めていましたので、(さすがにビール臭い息でお客様に接客なんてありえませんので。)ホッピーだけを注文、あとは師匠と一緒に、キュウリ、煮込み、たまご、等を注文しました。でも完全にまだ真昼間から完全に酔っぱらっている方々のなかで、ちょっと緊張気味にしていたのですが、お隣のお客さんもその隣のお客さんも、お店の方もみんなフレンドリーなんですよね。何故か、僕のことを知っているのが不思議でしたが・・・汗。

煮込みは、絶品でした。

ポテトサラダは同じく名店“鍋の友達”風で超僕好みでした。

で、牛太郎の一品一品はとんでもなく安くてビックリです!安くて更に美味しい!(お品書きを見てビックリすると思います。100円前後)厨房で一生懸命動き回っているヒロシさんも知り合いでしたが・・・笑。このお店が人気があるのは、完全に分かりましたね。今まで行ったことがなかったのが本当に不思議ですが、清水湯の常連さんも「牛太郎はいいよ!」ってみんな言っていましたが、その理由がよく分かりました。

煮玉子も美味し~!です。

一度暖簾をくぐってみればすぐに答えは見つかります。なぜか昔から知っているような懐かしい気持ちにさせてくれる、故郷のような一杯飲み屋です。またすんごく不思議な空間ですが、清水湯帰りにでも皆さま、お立ち寄りしてみてはいかがでしょうか?完全に異空間にトリップできますよ。笑

武蔵小山温泉・清水湯3代目談。

牛太郎

03-3781-2532

東京都品川区小山4-3-13

[月~金]
14:30~20:00
[土・日・祝]
12:30~20:00
▼清水湯からのアクセス

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ガンバレ!!銭湯(ありがとうございます!下北沢つかさ氏)から。


銭湯を応援してくれる人が大好きです!その中に昨日ご紹介した全国浴場新聞のコラムに登場する「下北沢つかさ」さんがいます。下北沢つかさ氏は、この月一回の銭湯新聞で「ガンバレ!!銭湯」というコラムを担当していただいています。その中で、全国3000軒を以上、銭湯を回られた同氏曰く、学生時代の大変な時に銭湯に行くのが唯一の楽しみだったそうです。そして現在もご結婚されてもなお自家風呂があるにもかかわらずご夫婦揃って、銭湯かよいを続けられているそうです。(長年、町の銭湯を支えていただき真にありがとうございます!)下北沢さんはその後、町の銭湯がどんどん廃業されている現状を目のあたりにするにつれてさびしい想いを募らせていただいていたようです。

この第4回には僕もゲストで出たんです。

ぼんやり映っていますが、真ん中が下北沢氏。

そのなかで同氏は、12年前に銭湯業界では超有名な銭湯博士のカリスマ「町田忍」氏と出会い、銭湯への熱き想いが更に燃え上がり全国津々浦々、銭湯を歴訪したそうです。その数3000軒以上!その後、僕も第4回目に登場したこともある、新宿ロフトでの新しい銭湯文化発信の「東京銭湯ナイト」を主宰して、銭湯ルネッサンス(復興)にご尽力してくれています。

温泉博士の町田氏の代表作。

前述の町田忍氏は僕も共鳴できるところが多く尊敬していて、沢山の本も持っていますが、新しい切り口で銭湯文化を啓発してくれている下北沢つかささんもこれからの銭湯伝道師として大活躍していっていただいきたいと思いますし、陰ながら応援させていただこうと決めています。同氏は立川談志師匠の言葉を引用されて、「湯はうらぎらない」とおっしゃっています。僕もその通りだと思いますし、一人一人のお客様を大切にしながら、皆さまに喜んでいただけるガンバル銭湯を続けてまいりますので、皆さま、銭湯一軒一軒をこれからも、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

武蔵小山温泉・清水湯3代目談。

参考文献、全国浴場新聞

参考URL,(つかさの銭湯温泉サウナ王国)http://www.kt.rim.or.jp/~tsukasa/sento/

銭湯新聞ってご存知ですか?


銭湯に機関誌があるのをご存知でしょうか?まず、一般の方は目にすることのない新聞ですが、毎月一回1日に発行している二つ折りの4面のみの新聞です。大体1面には全国公衆浴場関係が半分ぐらい割いていて、その下半分が生活衛生関係(厚生労働省との関連事項)ほぼ半分が広告で残りが銭湯ローカル情報系、時事通信系、(といっても経済、社会、などは一切なく銭湯がらみです。)先月号は大人気コミックの「テルマエ」(テルマエ・ロマエ)などが掲載されていました。

浴場新聞のセントウ紀行。

で必ず変わらず載っているのが、都道府県別入浴料金表。ちなみに東京都は450円(大人、神奈川県も一緒)ですが、埼玉県は410円、千葉県は420円となっています。なぜか清水湯の先代である2代目は毎月この銭湯新聞をいまだに理解できないのですが、ホルダーに保管していました。笑。でもたまに目を見張る記事も乗っていることがあります。特に最近話題のエコロジー銭湯(エコ銭湯)などは、銭湯1件がおこなっても意味がないので、全浴場の銭湯が一致団結して環境負荷の削減(CO2)問題などに地域の灯台として率先していく事は、大切ですし、その啓蒙活動の機関誌として銭湯の浴場新聞がお役にたつことが、非常に意味のあることだと思います。

銭湯回帰につながるといいものです。

最近の紙面を見ていて思うのは、どこかで世代交代したのかなと思う所があります。正直少し前までは、古臭いことしか載っていなかったのですが、笑。最近では刷新してきたように感じますし、銭湯の存在意義の向上こそ、銭湯の残る道であるという気風を感じる事が出来るようになりました。お客様目線でこれからも、皆さまに喜んでいただける銭湯を浴場新聞共々に進んでまいりますので、銭湯をこれからも何卒宜しくお願い申し上げます。

武蔵小山温泉・清水湯3代目談。

参考文献、全国浴場新聞。