努力そして運。そう思う理由とは。(温泉とはあまり関係ないけど・・・。笑)
2013年07月17日
人との出会いに、無駄はないと思いますが、その通りだと思うんです。運命的な出会い、宿縁がなせる出会い、逆縁として向後に勉強になる出会いさまざまありますが、武蔵小山温泉の舵どりをしていて思うのは、沢山の方がたの励ましや、応援、さまざまな見えないところでの支え、陰に日向に守ってくれているところにあると思うんです。その中で、心ある人たちとの出会いが若旦那を形造っているのではないでしょうか。心には心で、愛情には愛情で、優しさには優しさで、思いやりには思いやりで、目を見て心の中に言葉を差し伸べてくれることの多いことが、何よりも僕自身、恵まれているな~と感じるところなんです。深い優しさや、それこそ苦しさに同苦してくれる慈悲ともいうべき心のある人たちに囲まれて、今にいたっている僕と僕の家族の周囲はいつも賑やかで明るくて大変な中でも充実しているんです。
逆もしかりで心ないものにも結構わかりやすくなっちゃう傾向性もあるのがたまにきずなんです。笑 さて、昔の人で人間は「考える葦(あし)である」といっていましたが、まさに人間は行動する葦なんだと思うんです。さらに血のション便がでるくらい努力してさらにはその上に運があるんじゃないでしょうか。僕にも心の師がいるのですが、その師も厳しいのですが努力しても運の無い人は成功しないと断言しているんです。言葉は短くてシンプルなんだけど、まさに血のション便の出るような努力を重ねて初めて運もついてくるということなのかもしれませんが、正しい努力が前提になってくるのだとも考えられるんです。星の運行のように目には見えないけど正しい星の道があるように、目には見えないけど鳥にも道があるように、人にも目には見えなくても正しい道があると思うんですね。その眼には見えないけど正しい道が本来持っている自分の運を開いていくことじゃないかと思うんです。
で、その正しい道ってなにかなって僕が思うことは、人のために生きることこの一点じゃないのかなと思うんです。簡単だけど一番難しい道これなんじゃないのかな、たとえ全部が出来なくても、その心のもちかただけでもベクトルがそっちに向いていれば、それだけでも進むべき道は不思議と軌道修正されるんじゃないでしょうか。迷ったら人の役に立つ生き方を選んでいく、小さいことで人を嫌いにならずに大我に生きていく、金以外に大切なことが沢山あることに気が付いていく、とにかく妻、子供を大切にしていく、バカはバカなりにそのうえで自分の目の前にある仕事に果敢と向き合っていく・・・。なんてことを6月23日(日曜日)の夜、急にふつふつと心の奥から思いました。(笑)
武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。
カテゴリ:想い