風呂の語源☆彡
2012年02月27日
民族学の第一人者として研究家の先駆者としても有名な柳田國男氏(1875~1962)が大正4年(1915年)の「郷土研究」3巻3号に「風呂の起源」として風呂と言う言葉の語源は「ムロ」ではないかと言う説を唱えています。「フロは多分、室(ムロ)と同じ語で、穴蔵または岩屋のことであつたらう。寺院の保護の下に生息して居た一種の人民が、石室又は土室を築くに巧であって、之を利用して所謂(いわゆる)蒸風呂を拵え(こしら)へ僧侶の便宜に供して居たのが、此浴法次第に民間に流行して家々に五右衛門風呂を用意する迄に発達し~以下省略」とあります。風呂の語源が室(ムロ)とは何となく説得力がありますね。そもそも最初の風呂屋の形態は柘榴口(ざくろぐち)と言って、一種の蒸し風呂 が主流だったことを考えても興味深いことです。
でさらに柳田は風呂は最初は天然の洞窟などを利用した岩室や岩風呂と同じで、今でも鹿児島のある地域では石を寄せて集めて作った釜のことを「フロ」と呼んでいるらしいのです。更に柳田は「自分の見るところでは、風呂と称する入浴法はもと仏家の作法に始まったらしい。我邦に固有の浴法は単に海川に浸かって身を洗ひ、又は今日の行水のやうに快諾にして且つ単簡のものであつたのを、僧徒永永の垢をこすり落とし始め、それが今日の如く一般民家に流行するに至つたのではあるまいか」と風呂の語源を分析しています。そもそも風呂好き、海好きの3代目店主はこの文を読むとただの先祖返りをしているだけのことかと笑ってしまいますが、「風呂」と言う言葉、よく見ると何で風に呂なんだろうと不思議な文字ですよね。確かに子供のころから「風呂」と言う字になんの意味があるのだろうと不思議な思いでいましたが、こういう考え方も一理あるなと納得してしまいました。
なかなか意味深くて造形の深い考察ではないでしょうか。さてもともとは風呂に入る行為自体が尊い作法であったことを考えると、何となく普段の銭湯での入浴も一味違う物になりそうです。確かに日本人のDNAには風呂に入った後のさっぱり感は一種の身体を洗うだけのさっぱり感だけではなく、心も洗い清める最高の自分に立ち返る一種の儀式なのかも知れませんね。毎日温泉、毎日最高の自分に戻ってきてまた前に進んでいく、そんな明日への活力、成功への原点になれる温泉になれたら銭湯冥利に尽きるものです。これからも皆様の健康、長寿、幸せの一助にお役の立てる銭湯として清水湯を何卒、宜しくお願い申し上げます。
参考文献 柳田國男全集。あ~極楽の銭湯史 町田忍著
武蔵小山温泉・清水湯3代目談。
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