オヤジを忍んで(ことしは七回忌)(武蔵小山温泉若旦那ブログ)
2017年08月09日
2011年はとんでもないでっかい地震が来た年。そしてその後、寿命だったのかオヤジが死んだ年にあたります。そして今年が7回忌の年。ひいじいちゃん(清水湯の創業者)は北陸三県から東京にやってきておばあちゃんの歌子とともに田園調布に住んでいたらしい。そしてオヤジが生まれ育ったところは隣町の奥沢。地域の尾山台小学校。そしてそのまま田園調布高校、明治大学商学部、大学時代は民謡倶楽部を立ち上げて初代部長だったと聞いています。大学の近くでは雀荘を開いてけっこう羽振りがよかったらしい。その他に今も残っているらしいが銭湯ご用達の消毒剤(塩素系?)の会社を立ち上げてけっこう儲けたらしいが人に譲ったとのこと。こどもの頃から走るのが早くて毎日勉強を小刀で鉛筆が3センチになるほど削るまでしていたとよく聞いてました。速読で読書家でたしかに頭が良かった。オヤジの若いころを知っている人に話を聞くと大体オヤジが自分を称賛するように話していたことと寸分たがわない話がでるのでたしかに「神童」と呼ばわれていた節があります。
そんなオヤジ中晩年は「そううつ病」でずっと苦しんでいました。いやあまんじて苦しんでいた節があります。お天道様しか信じていなかったオヤジ。この一族に降りかかる「病魔」は自分一人が受けきってそのまま持ち去ってしまおうという慈愛に裏打ちされた思いがあったのではないでしょうか。生きることの素晴らしさ、努力の大切さ、その反面、病気の苦しさ、辛さ、切なさ、その両方を身をもって受け切っていたからこそどんな姿であれ「オヤジは偉大だな」と感じ入ってしまうのでしょう。オヤジがいなくなって7年。今、銭湯の直道を進んでいるぼくの姿をどうみているのでしょう。今思うことは病身でありながら有形無形にオヤジに守られていたなと気が付き、ただただ感謝の思いがふつふつと沸いてくることなんです。誰しもが生まれて死んでいく当たり前の時の流れの中、親と子という不思議な深い縁(えにし)は今もオヤジの優しげな笑顔がふっと瞼の裏っ側に浮かんでくるときなんだか熱いものまで溢れそうになるのはやはりぼくはオヤジの子供なんだなあとつくづく思うこの頃です。「オヤジみててくれ」なんて恥ずかしくていえないけど、ひょっとしてまたいつか会えることがあったときにすこしは褒めてもらえるような「銭湯のオヤジ」になろうと思いを新たにしています。
武蔵小山温泉 しみずゆ若旦那談
カテゴリ:想い