風呂馳走!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)
2017年02月22日
飽食の時代。ある有名人などの豪勢な食事のシーンをテレビで見ていると煌びやかに着飾って、何万、何十万もする食事を大してうまそうな顔もせずに食べているのをみていると、めぐりめぐって、ただ臭いうんこしかしない人なのではと思ってしまうのは僕だけでしょうか。あの豪勢な食事のほんの少しでも貧しい人に施してあげる心があればそれだけでもかなり貧困貧食問題が解決できるのではないでしょうか。経験上、一番簡単なことが喧嘩すること。本当に誰でもできるのです。そこを堪えてケンカしない知恵が人として高貴になり、内面から輝ける一因になるのではないでしょうか。基本、知っている者同士ならケンカはおこりません。
知らない者同士、突き詰めれば「不信」がケンカの原因なのです。他国とのケンカも「不信」顔が見えない、会ったことがない、ただ第三者のまわってきた話しか聞こえない。悪口が情報として操作されていたら、不信感で一杯の人ならすぐにケンカです。ケンカしたことあります?勝ってもたいして嬉しくない。それがケンカです。ちっとも心が晴れないそれがケンカです。鏡に映ったバカな自分と言い合っているような錯覚に陥るのがケンカなのです。安くても美味しい怖いけど優しい妻がつくってくれる心のこもったご飯をたべましょう。一部の特権階級しか食べれないものなど、くっさいうんこの原料にしかならないのです。平和。それは毎日の心温かいものに含まれているでしょう。きっとそれは温かな温泉にも心の滋養となり、物事の本質がくっきりと見えてくるのです。だから愛情あふれる食事、そして心も温まる温泉活動。平和を希求する温かな心は毎日の何てこともないごく当たり前の中に存在しているのです。風呂もご馳走、心の栄養源なのです。
武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。
カテゴリ:想い