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誇り高き銭湯の民(武蔵小山温泉平和希求ブログ)


武士は食わねど高楊枝とはいいますが、誇り高き武士の痩せ我慢を言い当てた言葉とも言われています。民俗学が好きな若旦那ですが、武士は武士で厳しい身分制度の下熾烈な生存競争をくり返していたのです。人は平等といわれていますが、世の中あまりに憎悪が多過ぎてまた軋轢、不寛容によるいざこざも多すぎます。そして世界中に広がるテロの様相、この世界はどこに行こうとしているのでしょうか。現実に目を向ければ向けるほどに矛盾だらけの世界にみえてくるのは僕だけではないでしょう。世の賢者、それも創始者、創造主、預言者的な人たちが集まって話をすれば一番、問題解決は早いと言われているのです。例えば、キリスト、アラー、仏陀、ゴッド、最初の言いだしっぺですよ。人を救いたい、人を幸せにしたい、その熱い命を共有できる人たちが話が合わない訳ないのです。

ではなぜそれら宗派ごとに現在では争っているか、ただ単に「金」です。しがらみ、利権、美味しいご飯に美味しいお酒、そこにはすでに大本である創始者の心はないのです。あきらかに戦争がビジネスとして金儲けの道具になっている昨今、その悪しきスパイラルを断ち切るのはそれを作り上げた強欲のそして自分本位の生命観を変革するしか道はないでしょう。その変革する方法こそ「心を温める」ことしかないでしょう。温かい心は人に対して優しく、信じて、励まして、喜びを共有でき、心麗しい友人の輪を広げることができるのではないでしょうか。誇り高き心に慈悲の心も生まれてくるというものです。昔の身分制度も今は無いのです。その気になれば出来ないことはないのです。平和の世紀を創れる心の源泉。武蔵小山温泉は平和創造主義なのです。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。