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これからは「アスリート」ではなく「アス湯ート」でしょう!(武蔵小山温泉ブログ)


アスリートさんの中で二分する理論、「カラダが先か」「心が先か」論。同じ年で薬で捕まってしまったあのアスリートは「カラダが先」論だった気がします。これは何を言っているかというと、精神論的なものよりも持っているカラダの資質、いわゆる持って生まれた素材でアスリートとしての資質が決まる、というものではないかと思います。正直この理論にはちょっと何か異質なものを感じるのです。たしかに生まれながらのもの、先天的にもっているもの、また後天的に鍛えに鍛えたカラダに備えた筋力、でもココロの強さ、弱さは切り離すことは出来ません。なぜなら心とカラダはつながっているのですから。

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ここで心や精神論など関係ないというのであればそれまでですが、僕的には小よく大を倒すという事例をみているのであえて言わせてもらえば、心の強さがカラダの強さに直結しているのは必然と言わざるをえないのであります。またアスリートはいつまでも第一線で戦えるものではないのです。かならず第二ステージがまっている、そのなかで心の鍛錬を忘れてしまうのは、自身の石積みをしないで建てた城郭のように退いた瞬間に崩れさる危険性もはらんでいるということなのです。一見遠回りのようにみえても心の鍛錬とカラダの鍛錬を同時に行っていく、また心の鍛錬を主軸に置き換えて、鍛えに鍛えていくそれしかないのです。一流のアスリートは一流の人間性でなくては本物の一流とは言えないのです。と持論ですが、鍛えの中に癒しが必要なのです。そこに天然温泉を取り入れてこそ一流の「アス湯ート」になれるのでありました。字余り。

武蔵小山温泉 しみずゆ若旦那談。