復興は福幸です。(武蔵小山温泉防災ブログ)
2016年03月11日
その日は海に行く予定でした。毎週火曜日か金曜日波のある時だけ波乗りに行くのです。ただ不思議と湘南も千葉も茨城も波がいまいちでいつも通り波が無ければ仕事と割り切って、真面目にフロントで仕事をしていたところあの日本を揺るがす激しい揺れが足元を伝わってきたのです。すかさず出入り口の確保と、ボイラーのオフ、使い捨てのサンダル、そして大量のバスタオルを脱衣場に持っていきました。でもなかにはお風呂に入っている人は揺れに気づかない人もいたくらい不思議と清水湯は揺れなかったんです。基礎が普通より2倍近く入っていることが理由のようでした。それでも僕が激しい揺れと認識できたのは目の前の民家が潰れるんじゃないかというほどの揺れを目で認識していたから。でも体感はそれほどではなかったのです。でもその後のテレビでこの世のものとは思えない壮絶な映像が流れてきて、衝撃をうけました。心にトラウマを残すほどの衝撃的な映像でした。妻と子供二人は幼稚園の遠足でディズニーランド。つながらない電話の中、やっとつながった電話でいますぐ高台に逃げろとどなったことを今でも覚えています。妻たちの足元は液状化で水浸しになっていたのです。そして帰ってこれたのは翌日の朝方。
その日は母も千葉の東金で畑仕事。営業も早めに終了しました。末の子と一緒に、2人だけでまだ余震が残る中、帰宅困難者が清水湯の前を通っていくのがわかったので何もできないささやかな気もちとして清水湯の門の前に「ご自由にどうぞ」と貼り紙をして水のペットボトルを5ケース程置いておきました。その後、妻と子供たちも無事帰ってきて安堵の思いをし、家族全員がそろった時は本当に嬉しかったものです。でも東北の惨状が次々とテレビで流れるたびに、この世のものとは思えないくらいの厳しい現実に子供たちも明らかに心に何かを残しているのがうかがえました。そんな中、突然、幼稚園の長男が貯金箱をもってきて「義援金にする」といってきたのです。そんな子供の真っ直ぐな気もちに触発されてその貯金箱を預かって郵便局にいきました。その手には僕の預金を片手に。子供の貯金はそのままに帰ってきてから「100万円送って来たよ」と子供たちの前でいうと皆驚きながらも素直に喜んでいた姿をいまでも僕たち家族の誇りのように覚えています。いまでも続けています。でも最近ではこのアヒルちゃん何なの?といわれることもあります。記憶は風化するのでしょうか?でも必ず東京でもそれ以上の大震災がくるでしょう。その時のためにも武蔵小山温泉・清水湯は東北の友に「義援金活動」を続けていきます。
武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。
カテゴリ:想い