今年も大変にありがとうございました!黄金の湯☆3代目の思い。(回想録 俺の銭湯で書けなかったこと。)
2016年12月31日
今年も沢山のお客様にお越しいただき本当に感謝の思いで一杯でございます。約3年続いた小説「俺の銭湯」も無事終わり、今も全体をさらに完成度を高めるために加筆、校正をしている最中です。来年も飛躍の年にするために更に皆々様に喜んでいただける銭湯になっていけるように頑張ってまいります!
黄金の湯を掘ろうと思ったのは、約18年前、今は亡き父親が天然黒湯温泉の掘削に成功してからです。この天然黒湯温泉は品川区方面では初めて掘削が成功した温泉で、今まで大田区方面では黒湯系の温泉が出ることがあっても品川区で温泉が出るとは考えられていませんでした。昔から博打好きで一時大井競馬場に競走馬を2頭も持っていたこともあったくらいでいつも盲牌を自慢していた6大学出の父(オヤジ)は死ぬまで怖くていつまでも越えられない存在でした。そんなオヤジが突然何をトチ狂ったの「温泉掘るぞ」と家族に打ち明けてきたのだから、ビックリ仰天。いままで母(オフクロ)に迷惑ばかりかけていやがって~と思っていたので、寝ている間に首でも絞めてやろうかと思ったほどでした。(笑)それが今から18年前の平成6年のことでした。このオヤジの天下分け目の出なければ長男にボコボコにされるのを覚悟した博打は大成功!清水湯に最高の天然黒湯温泉が湧出することが出来たんです。結果オーライその時ほど、オヤジが博打(ばくち)打ちでよかったと心から思いました。しかしその喜びと同時に反面、オヤジには負けたくないな~と心の奥からふつふつとジェラシーが沸き立ってきたのも覚えています。笑。
このオヤジを超えるのは「石油を掘り当てるか」「単純に10倍以上深く掘ってもっといい温泉を掘り当てるしかない」と心に決めたものです。さてその後12年かけて借地だった土地も地主にお百度参りして土下座しまくってやっと土地を売ってもられると首を縦に振らせることが出来たのが平成18年。3代に亘って続いた借地人がついに借地をひっくり返すことが出来た大事件は、地元でもちょっとしたニュースになるほどでした。すべては、この土地に銭湯の灯を消したくはない、カッコつけてる訳ではないのですが本当にそんな想いで、長年耐え忍んできたんですね。で、早速自分の土地になったんで「さー、とは言っても、新しく銭湯建替える事は出来るようになった、という事はべつにマンションにすることも出来るんじゃいの・・・☆」みたいな悪魔のささやきが出てきたことも事実なんです。(笑)実際、家族会議を開いた時に僕が、切り出したのは(最高に夢のような選択枝なんですが)「銭湯やめてマンションにしてハワイに暮らそうか~☆」でした。笑。当然母親と妻は反対して「おじいちゃんとおばあちゃん達の喜んで帰っていく姿が忘れられない」ということで当然の如く断念、当初の初志貫徹のニュー清水湯を作ることに決めたんです!その時、本当にお客様に喜んでいただけることはなんなんだろうと、本当に悩みました。また、地域にお世話になっていたことの恩返しもしないといけないと想い無い頭を総動員して悩みに悩みました。そんな時、先述の父親が天然温泉を掘り当てた時のことを思いでして、「そうだ、オヤジを超えられる最高の温泉を掘ろう」と決めたんです。それに都心で2つの天然温泉を持っているところなどなかなか無いと思い、それならお客様も喜んでくれると確信しました。さーこののち温泉掘削に入るのですが、僕の人生でも本当に大変な佳境に遭遇したと今でも思います。またこの苦境を乗り越えられたからこそ、今本当に愛情をもってオヤジが残してくれた天然黒湯温泉と3代目の僕が掘った黄金の湯を心から大切に出来るんだと思っています。温泉掘削後の話は第二部でまとめようと思いますが、一つだけ言えるのは、特に黄金の湯は相当な覚悟が無いと温泉からしっぺ返しを食らうことを覚悟しないといけないという事なんですね。分かり易くいうと猛獣か超高性能なスーパーカーみたいなもので、いつも心を配り続けられる覚悟が要求されます。ですからいわゆる普通の銭湯は真似しない方が賢明です。かるいノイローゼにかかる恐れがありますので。笑。さて難しいもので本当のことを分かり易く面白く説明することほど難しいものはないのですが、良き伴侶と同じで縁なのかもしれませんね。温泉も・・・笑
武蔵小山温泉3代目談(黄金の湯☆3代目の思い。第一部)
カテゴリ:想い