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びわ大金持ち10年計画!(武蔵小山温泉石の上にも10年ブログ)


房総千葉。そしてそのなかでも南房総の特産と言えば・・・。そう「びわ」!なのです。第一位の長崎の1400トン(年間)、そして500トン(年間)の千葉が栄えある第二位!次は鹿児島だそうです。よく南房総、大原を超えて、御宿を超えて、部原(へばら)海岸にサーフィンに行くのですが、その帰り道、たわわに実っ房総産のびわはとってもオレンジ色でふくよかで大きくて皮もつるっと剥けて程よく甘く、種が大きくてきれいに実を食べることができるのです。そんな国産の房総産のびわは結構お高めでなかなか勇気がないと買い物籠の中に入れられないのですが、奮発して買った日は家族で愛おしそうにゆっくりと味わいながら食べるのです。そんな貴重なびわ、いつか宝くじが当たったら食いまくりたい妄想が高まってくるにしたがい、「そうだ!自家栽培すればいいじゃないか!」と気がついてしまったのです。埋めてしまいました。びわの種・・・。すると芽が出るじゃありませんか!

ああ、なんかこの感覚なつかしいみたいな、子供の頃銭湯のドブの横に土があってそこにジャガイモを埋めて育てたことがあった子供時代を思い出しました。この感覚なんか命を大切にする感覚、植物を育てる感覚は人としてすごく大切な感覚ということを思い出したのです。その前に食べ終ったびわの種が一本だけ大きくなっていましたが、肥料の配分を間違えて枯れかかっていますが、今、植え替えて蘇るのをまっています。そして新たに植えた種は順調に育っています。きっとこの子達が僕をびわ長者にしてくれることでしょう。いつか、「武蔵小山温泉」の番台でびわが売っていたら種から育てた、「びわ大金持ち10年計画」の縁起物のびわだと思いだしてくださいませ(笑)

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

ムサコの風。温泉の風。(武蔵小山温泉雑談ブログ)


愛する武蔵小山。最近では開発の波にさらされて古き良き武蔵小山の繁華街は消えてなくなりました。高層ビルが駅前に立ち並ぶ街並みへとこれから変貌を遂げていくのです。それも今まで駅前だけだと思っていた開発も実はパルム商店がを巻きこむ形でさらに広がりを見せています。また武蔵小山の商店主も高齢化が進んでいることも開発へと進んでいる要因の1つとなっています。是々非々の立場なのでどちらが良い悪いというのは実際のところないのですが、さてさて武蔵小山の街はどんな変貌を遂げるのか楽しみでもあり若干不安でもあります。もし武蔵小山に変らないものがあるとしたら「人」じゃないでしょうか。いつまでもどこまでも下町人情の厚い武蔵小山ローカル気質。祭り好きででもそんあに喧嘩っ早くなくてフレンドリー。仲間意識が強くて、先輩後輩の絆がいまでも現存している。そして飽きっぽくて一度気に入るといつまでも好き。それは対お店にたいしてもそうなんです。

武蔵小山の民の心を掴むのはけっこう大変なのです。でも武蔵小山で成功できれば案外他でも通用するかも。商売をしていると必ず逆風が吹くこともあるけど、ムサコの風はどこか順風満帆で優しげな風なのかもしれませんね。そんな時には風雪に耐えながら育ったお店はやはりどこか温かで優しげな優良店が多いかもです。今日もいい湯が湧いています。皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

電脳解消法!(武蔵小山温泉スッキリシャッキリ入浴法ブログ)


気がついたらいつまでも左手の親指が上下にスクロールを続けていることってありませんか?そうあの青と白の画面をいつまでも上下になぞってしまう行為。気がついたら普通に30分時には1時間近く人様の日記を読んでいる。後悔日記ですから、情報量を増やすためとか何かそこにヒントがないかなという意味もあるし、ただたんに暇だからというのもあるし、この「SNS」というのはどこか中毒性の強いだんだんと雁字搦めになっていくひょっとしたら人間の行動を操られてしまうものなのかとさえ思えるほどです。昔こんなニュースがありました。テレビを見ていると人間が覚知できないほんの一瞬だけ画面が差し込まれる。それは潜在意識化に働きかけ人間の行動規範を操作することができる。そう「サブリミナル効果」という奴です。ウイキ(サブリミナル効果)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%AB%E5%8A%B9%E6%9E%9C

 

このサブリミナル効果に近いものがなんとなくこれらSNSにはあるのではないか、もしかそれに準じた準サブリミナル効果というものが存在しているのか、そんなことを常に毎日毎日、心の平穏を取り戻せる心の母港である「銭湯」の湯舟につかつていると、当たり前と思っていることが、ひょっとして間違っていたり、操られていたりなどとほんの小さな「差異」といものを敏感に感じてしまうものなのです。長いものに巻かれろ、のど元過ぎれば何とやらの国民性の日本人と言われていましたが、まさに静寂そのもの。さて一度スッキリシャッキリリセットしてみませんか?「天然温泉」にバシッとはいりましょう!静電気のようにたまりにたまった脳内電磁波的なものを出しちゃいましょう!きっともっと温かな優しげな思いやりのあるその心の美しさが顔や一挙手一投足にあらわれる、ビューティーボーイ、ビューティーガールになることでしょう。

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

 

健康湯(ゆ)パイラル!(武蔵小山温泉ビューティーブログ)


だれもがいつまでも若々しくビューティーで健康でいたいものです。最近、風邪をひいてしまったのですが、熱が出ているわけでもないのですが席喉タンが直らず、急に冷え込んだ冷気にむせたりと正味2週間ほど完治するのにかかりました。この時は本当に「ああオイラもじじいになったものだ」とちょっとマイナスイメージをふくらましちゃいました。あと2年で50歳。織田信長も「人生50年げてんのうらをくらぬれば夢まぼろしのごとくなり」と幸若を唄っていたようにそろそろじじいの年齢に近づいてきるのは間違いないようなのです。だけどそれでも現役バリバリに空手も戦いたい、サーフィンもチューブを狙っていきたい、そんな強欲ジジイでいたい48のじじいなのであります。さて、そんなじじいがどうにかお金もかからず、費用対効果も抜群でコスパ最高の健康法というよりも、いつまでも現役バリバリの海オヤジでいれるかを常日頃かんがえ実践しているのはやはりこの一点、「温泉入浴でカラダを温めまくり細胞一つ一つを女子高生並みにリフレッシュする活動」略して「温活」を実践することが健康の原点ではないかと最近とくに強く確信しています。実際風邪をこじらせるきっかけはあったのです。それは少し寒い海に3時間ほど入ってしまったこと波の数もすくなかったから、波待ちでちょっとカラダが冷えてしまったこと、そして一番よくなかったのが、すこし季節外れの薄目のウエットスーツを着ていたこと。

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それで保温効果がなく冷え切ってしまったのと、以前は若干の風邪の時はむしろ海に入ったほうが治ったことに対しての考え方の油断がそこにあったのかもしれなかったこと、反省する点は幾らでもあるのですが結果風邪をこじらせてしまった。でも、風邪を治す基本はカラダを温めることなのです。そして治ってからの病後の肥立ちも「温活」することでいつもの猛々しくて若々しい体調をとり戻すことができたのです。論より証拠、実践の中で体感することこそ、「百聞は一見に如かず」で健康になりさらに健康を取り戻し、さらに健康になる「健康スパイラル」ならぬ「健康ゆパイラル」なのです。今日も湯けむりが天に舞っています。「温活」で健康になる素敵な天然温泉が貴方をお待ち申し上げております!

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

かわらないね♪ビューティーフォーエバー!(武蔵小山温泉ビューティーブログ)


毀誉褒貶、諸行無常の鐘の音、流れる川のようにいつかは形を変え、いつかは姿を変えていくものなのです。生老病死そしていつかはこの世の中から消えていなくなってしまうものなのでしょうか。秦の始皇帝もクレオパトラも楊貴妃も不老不死の命、なかんずく永遠の美をもとめて水銀までをも飲んでいたとのこと。そんなあくなき人間の欲求は何のために美しくいたいのか、何のために長生きしたいのか目的感さえも見失ってきたのかもしれません。そう、美しさは自分ためだけではなく、まわりにいる人をも幸せなきもちにかえていくことにつながるのです。

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自分が幸福感を感じればまわりもその思いに同調することができ、長生き、幸福、美しさが周囲の人々をも同じ幸福感へと導いていくことも可能のです。いつかは露と似て消えてなくなる命ですが、ひょっとしたら「心」は永遠なのかもしれません。肉体は衰えても心は衰えないそこに真の美しさの強靱な真骨頂があるのかもしれませんね。その心の滋養となり、いつまでも周囲から「かわらないね♪」といってもらえるビューティーフォーエバーな湯美人は武蔵小山温泉の天然温泉でつくることができるのかもしれませんね。今日も「美人のもと」が地中深くしみ出しています。皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております。

武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

湯乱万丈!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


波乱万丈の「波」はどこから来てどこにいくのでしょう。そしてその波はどこでうまれるのでしょう。波は風が生むといわれています。ちなみにハワイの大波は日本を通過する低気圧がそのまま北上してアリューシャン列島(ここは低気圧の墓場といわれています)に到達して消滅するのですが、その際の暴風は大きなうねりをつくり、太平洋のちょうど真ん中にあるハワイまで何にも邪魔されずにダイレクトに届いたうねりは溶岩で出来た浅い海底にぶつかりビッグチューブをつくりだすのです。波が生むドラマ、そして波が生む様々な波及効果。まさに天然温泉の湯舟の「湯」が生む人生ドラマの源とおなじではないでしょうか。

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人は平坦な道を歩いているようでじつは下っているといわれています。楽だからじつはやや下降気味の下り坂を下ってしまっている。本来ある目標にむかって進んでいるのならそれは「山登り」にちかい上り坂でなくてはならないのです。といことは上り坂をのぼっているのですから苦しいはずです。息もあがってくるはずなのです。でもそれが正しい成長している時の進み方ではないでしょうか。正しい道、充実の人生は湯が生むが如く「湯乱万丈」が丁度いいのです。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

超温泉!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


宇宙ってはじまりがあるのか、はじまりがなかったのか、終わりがあるのか、終わりはないのかどっちだと思います。なんかの本でよんだことですけど、大別すると2つの理論があるとのこと、それは宇宙はビッグバンによってはじまり、(超恒星の終焉による大爆発からの新しい宇宙の創造ともいえる)そしてはじまりがあるということは終わりがある。もうひとつは、そもそもはじまりはないという前提に立ち、ゆえに終わりもない。かりにビッグバンがあったとしてもそれは宇宙の途中経過での一現象であって、どこでもボコボコあり得る、それ自体が宇宙を小さくとらえ過ぎているというもの、そもそも宇宙は人の呼吸のようにふくらんだり縮んだりしていて、成長している。ここはビッグバン説とおなじで宇宙は膨張していることは共通しているようです。さて果たして宇宙の果てなど見ることは不可能ですし、かの有名なホーキング博士もタイムマシンは不可能と断じていて、相対性理論のアインシュタインの光の速度を超えることができればバックツーザフューチャ―はあるかもしれませんが、現実は無理そうです。そもそもタイムマシンなど無用の長物だと僕はも思っているのですけど・・。

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さて2つの理論はそもそも西洋哲学と東洋哲学の根本的な哲学の相違と言われています。命にはじまりがあるかそれとも永遠か。その根本的な哲学(考え方)の主張といわれています。正直日々の生活が大変なのでどっちでもいいのですが、考え方において終わりがあるより永遠の方が高尚のような気はします。そう長生きすると言っても健康になりたいと言っても、美しくなりたいと言っても「生老病死」は避けられないのですが、命が永遠ならまた生まれてきても命には刻み込まれている何かがあると思いませんか?だから善につながることをしたいし、命を汚すこと、また他者を傷つけることはすること自体間違った生命観だとおもうのです。そのいいことをする。その源泉が心の温かさであり、死生観を超えた、また宇宙の始まりを超えた、現実的で超身近にあり、日々の生活に生かすことのできる、超幸せを実感できて、難しいことなど関係なく単純に「いい湯だな」という幸せのフレーズを言葉に変えることのできる武蔵小山温泉の天然温泉は「超温泉」なのかもしれませんね。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

シンギュラリティ(技術的特異点)の湯(武蔵小山温泉雑談ブログ)


AI人工知能が人類を超えるその瞬間をシンギュラリティというようです。すでに将棋の分野では超えているでしょう。将棋得意若旦那が飛行機の将棋ゲームで全敗ですから・・・。いつかくるターミネーターとの戦いに備えて人類はなにをするべきなのか、そしてなにを備えておくべきなのか。ただ一つ、風呂にはいって温めておくしかないでしょう。それは心を温めカラダを温め、思うやりを温め、友情を温め、同苦を温め、慈悲を温め、そして愛を温めるのです。その本来もっている人間にしか備わっていない命をロボットのに吹きこむのです。

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それしかロボットとの全面戦争は避けることはできないでしょう!冷たい心の人間がつくったAIロボットはきっと冷たい殺戮をくりかえす冷たいロボットにしかならないでしょう。でも心の温かい人間がつくったロボットは優しい温かいロボットになることでしょう。今こそ心を温める時代がやってきました。今こそ心を鍛える時代がやってきたのです。それはすなわち全て自身にブーメランのように戻ってきてしまうものだからなのです。心を温めましょう!未来のために・・・。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談!(だんだんだだん!ターミネータの挿入歌風笑)

美をもとめる永久の旅なのです!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


昔、見たテレビに「キカイダ―」がいて「ハカイダ―」がいてたしかがったいして「ガッタイダ―」がいたりして、そして銀河鉄道999には哲郎がメーテルとともにアンドロメダにいって永遠の機械のカラダを手に入れるというどこか、人は一人では生きていけないし、相乗効果的なものは昔から存在するし、人はどこまでも究極の美、または生存の欲求をもっているものなのでしょう。それはいつまでも若々しく生きて生きたい、人造人間になっても、機械の人間になってもいつまでもキレイでいたいという人間の本然のようなものを持ち続けるということなのでしょう。

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だって哲郎でさえ何万光年も先のアンドロメダにむかって旅をつづけるモチベーションがあるのですから、いうなれば変身願望それがすべての人はもっている。もし、その願望に答えることができるのなら、いまだにスタップ細胞が闇の中ならここは古来より伝わる「天然温泉」しかないでしょう。そうなのです!美しくなりたい、長生きしたい願いが叶うまさに人造人間「ビジンダ―」並みにかわることができるそして源が武蔵小山温泉のふたつの天然温泉なのです。ちなみに僕は一匹狼の宇宙海賊「コブラ」のサイコガンがほしかった~。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

温泉DNA!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


昔僕は「僕のカラダはビールで出来ている」とおもっていました。やはり飲み過ぎは良くないです。そして食べ過ぎもよくないし、寝過ぎも良くない、同じく寝なさすぎもよくないのです。塩加減を「塩梅あんばい」というように塩は取りすぎはよくないのです。そうなんでも適度、適温、ほどほどがいいのです。そして時代は環境ホルモンなどで遺伝子レベルでカラダが傷つきつつあると言われています。そんな健康が外的要因で傷つけられるようのこの時代。つねに積極的姿勢で健康の源を摂取、または取り入れていくことが大切になってくるのです。水に毒がはいっている、空気に毒が入っている、卸売生鮮市場に毒が湧き出ている。

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お台場近辺なんて土地が沢山あまってるんだからなんで豊海の後地にこだわらなくてはいけなかったのかマジで謎です。せめて心ある築地市場関係者が一生懸命になっている姿をみて陰ながら応援したくなってきます。さて、「気は病」という言葉があるように、なんでも悪い方向に考えてばかりいると、自然とそういう方向に行ってしまうものです。なので前向きに明るくどこまでも楽天的に健康になる強くなると考えていきたいものです。その心の強さの源泉!そしてぶれない軸の強さの源泉が「武蔵小山温泉」の天然温泉で心もカラダも温めることが、すべての勝利の原因につながるのではないでしょうか。連綿とつづくその心の強さを「心の温泉DNA」として幾年月も永久につなげていきたいものです。字余り。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。