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オフロの達人。(武蔵小山温泉雑談ブログ)


昔、清水湯が黒湯の天然温泉を掘り当てたばかりのころ、どこよりも真っ先に取材してくれた方がいました。それは銭湯の第一人者で「町田忍」氏なんです。知る人ぞ知る、日本の庶民文化研究家、エッセイスト、
コメンテーター、写真家。また、銭湯研究の第一人者として知られる。庶民文化研究所所長。当時、芸能人はお笑い系しかしか知らなかったのでじつは存じ上げてなかったのですが、はじめて挨拶した時に交わした握手の強いこと、一瞬で僕は只者じゃないと確信しました。お風呂に入ると言うことで、監視窓・・・昔の銭湯には必ずあるものなんです。今の清水湯には当然ありませんが、で、この窓から入浴している姿を見たんです。じつは人と言うのは裸になると如実に本性がでやすいもので、例えば海やプールでも普段と違う自分がでやすいと言われています。(諸説ありますが)でその銭湯の達人はカランの前に座りました。

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風呂の座席には上座と下座があるのをごぞんじでしたか、風呂に近い方が上座と言われています。で達人は下座へ直行。そこでお風呂に入る前に全身のカラダを洗って、髪の毛も洗っているのです。それも内またで・・・。それは膝が隣の人にあたらない、心がけだと思われるのですが、これは僕の銭湯の入り方とまったく一緒だ!と思った次第なんです。お風呂を汚さない、人に迷惑をかけない、(人がどうあれ、自分は正しく生きるみたいな)その姿をみてマジで只者ではないと強く確信したのです。時代は変化変化の連続ですが、人心の思いやり、優しさなどの芯の部分は変らないでいきたいものです。お風呂の達人とは思いやりのをもってお風呂を楽しめる人のことを言うのだと思いました。

 

武蔵小山温泉 清水湯若旦那

そうだ銭湯に行こう!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


どうしようもないブログを書かせたら日本一の若旦那ですが、こんなくだらないブログを書く奴はどんなどんな奴だとお風呂に入りに来てくれる奇特な人がひょっとしたらいるかもしれない「ダメブログプロモーション」というじつは新しい手法のブログを書いていると勝手に悦に入っている若旦那ですが、そもそもお風呂にはいってほのぼの、ふんわか、とろけるような心もちになりたいのがお風呂の妙味なので、ブログもほんわか、内容は二の次で、さらっと読めてなんだかあそこのお風呂は面白そうだぞ、いや気持ちよさそうだぞと思っていただけたら望外の喜びでございます。さて、そんな武蔵小山温泉の二つの天然温泉ですが、最近スタッフさんからこんなこと言われました。

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「仕事終わりに温泉に入らせてもらってますが、本当に寝つきがいいんです。この違いは本当に感じます」とスタッフさんは仕事のあとの温泉は無料となっているんですが、この寝付の良さ、または睡眠の深さ、また質の良さは僕もものすごく感じるところなんです。いろんなお風呂に入ってきた若旦那ですが、やはりうちの温泉はちょっと違うな~と思わざるを得ないんです。いい睡眠はいい生活の基盤になり、いい睡眠は疲れまたストレスの解消の元になるんです。それだけでただ汗をかくだけのデトックスとは違い、心にカラダにいい影響をあたえるんです。なんだか「そうだ銭湯に行こう」そんな気になりませんか?(笑)武蔵小山温泉の温泉好きがスタッフをしている銭湯へ是非お立ち寄りくださいませ。スタッフ一同、笑顔でお待ち申し上げております。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

フロメン!(武蔵小山温泉雑談ブログ)


フロガールにつづき「フロメン」!最近雑談がとまりません!そもそも銭湯は地域の公衆衛生の向上のためにあり、また今ではご家庭それぞれにお風呂ユニットがあるなかで、家にあるのに銭湯に行きたくなるモチベーションを持ってもらうためにはどうすればいいのかが久しく銭湯の命題になっていますが、家にもない、スーパーにもない、住んでる地域にない、ものはなんなのか言うことが一つの答えになってくると思うんです。それも距離と、時間と費用対経費、効果ということでしょうか。清水湯でいえば銭湯であるにもかかわらず、二つの天然温泉があるこれにつきますが、けっしてそれだけではほかの同業他社さんに勝てるわけではないんです。そこには普段からお客様に感謝をして、普段からどうすればお客様が来ていただけるかそれをとことん追求していかないと結局、堂々巡りをつづける普通の銭湯にもどってしまうのです。

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僕にとっての「フロメン」、「フロガール」はどこまでも武蔵小山温泉のファンであり、どこまでも銭湯を愛していただける人々、どこまでも古き良き日本の温浴文化を残そうと思っていただける、心優しき、強き人々のことなんです。そう僕は銭湯好きはどこまでも心優しく、どこまでもさりげなく支えてくれる、銭湯の宝でもあり、日本の宝でもある人々なんです。だって心優しい人はどこか太陽のようにお風呂のように温かいじゃないですか。そんな方々が増えれば増えるほど日本は心温かな平和な国になるのではないでしょうか。フロメンそれはピースメンであり、温泉の源泉のように地より湧き出るが如く平和の建設者、フロメンが清水湯の天然温泉で増えたら望外の幸せです。

 

平和主義の武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

風呂屋は風呂屋にしてただの風呂屋にあらず。(武蔵小山温泉使命感ブログ)


「使命感」

おそらく僕が知りうるかぎり若手の銭湯経営者はこの3文字のみで、銭湯道というイバラの道をかきわけてすすんでいると思います。「使命感」それは気がついたものだけが、己の立ち位置で、急流に流されまいと水コケに滑りそうになりながらも両足でがっしと踏ん張りながら、ただ前だけを見続けるそんな姿と責任感の上に立脚している規範原理なんです。それは「俺たちはただの風呂屋でいいのか」と自分に問いただしながら、現状の銭湯業界の行く末を希望をもちながらも厳しい現実と向かい合いながら舵取りをし続けることなんです。銭湯がなくなるほどその街の灯が暗くなる、その街の根付いた人と人との温かい絆が途絶えてしまう。昔ながらの裸のつき合い、それは多次元的にはあらゆる階層、立場、などを乗り越えて平等な人間観を築き、醸成できる唯一のコミュニティーでもある銭湯がどれだけ人と人、心と心の結びつき、いわゆる平和の結びつきを創っている、その地域における役割分担がなくなってしまいことは大きな損失と言わざる得ないのではないかと思うんです。

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明るくて、思いやりがあって、優しさに満ち溢れているそんな世の中をあきらめずに創っていくそこの人間力の源泉が「銭湯」じゃないかと強く思うんです。誰かが銭湯のいつも会う、名も知らないけど、いつも挨拶してくれる、いつも笑顔でいてくれる、気持ちいいお湯を共感できる、そんな幸せ、ハートウオーミング空間にいるだけでなんとなく平和な気もちになり、お互いが共感しだしている、それだけでも世の中を変えるだけのパワーが内在している気がします。これから10年、20年、100年と銭湯の灯を守っていくその気概を持ち続ける俺たち銭湯人は、気がつくと気がつかなくとも大きな使命をもっていることを忘れないでいてほしいと思います。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

オフロマンティック!(武蔵小山温泉雑談ブログ)


昔、今田耕司氏が「ナウロマンティック」という歌をうたっていたのを思い出しました。最近ではリバイバル版の鬼奴さんたちが歌っているのをみて、「あ~やっぱりいい歌だな~」と思ってしまいました。日々の銭湯生活は健康生活であり、つねに感受性を磨く所業でもあるんです。武蔵小山温泉のお風呂に入ったことのある方はわかるとおもいますが、アフター温泉のさっぱり感と日々のストレスの抜け具合と、また心のキャパシティーが広がった感とが種々感じることが出来ると思うんです。

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僕の所感ですが、明らかにまた新しい自分になった感が気持ち良くて、新たに前に進んで行こうとおもえる感は武蔵小山温泉の2つの天然温泉ならではだな~と日々の銭湯生活に感謝の想いを抱かざるをえない感じです。(いままで南海「感」をいったでしょうか笑)さて、「人生はロマンだ」といったのは美輪明宏さま。まさにロマンはお風呂で作られる。心は無限です。その無限の心から温泉の如く無限に湧き出してくるロマンはまさにオフロマンティックじゃないでしょうか。今日も明日も希望に燃えたロマンティックで彩り鮮やかに生きていきたいものです。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

お客様の笑顔をつくりたい。そんな銭湯でありたいと思います。(武蔵小山温泉ブログ)


戦前は銭湯の黎明期、そして戦中は燃えさかる戦禍に銭湯までも燃やされてしまいましたが、戦後は高度成長期とともに銭湯の勃興期のピークを昭和43年にむかえて、それ以降は、廃れる一方の銭湯業界。けっして清水湯だけが廃れて言ったわけではなかったようです。その根本原因はお客様を見失ってしまったことが最大の原因だと思います。昭和の初めから中ごろまでは自家風呂がなかったわけですから何もしなくてもお客様が一日の疲れ、そして汗を流しに来てくれる。だけど家にあるにもかかわらず、来てくれるお客様はなかなかいないでしょう。なかには長年の銭湯通いに飽きて家庭風呂に憧れをもつそんな時代も一時期あったように思います。それは銭湯の息子が長年の常連さんと銭湯で裸のつき合いをしているなかでの実体験ですが、「家に風呂が出来たらもう来ないかもな・・・」と言われた時は僕の心の中で銭湯の将来、清水湯の将来がとても暗く感じたことなんです。

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子供のころから銭湯の風呂にはいって、銭湯で稼がせていただいたお金でご飯を食べさせていただいて、その銭湯が「今日はあそこがやめた」「こんどはあそこがやめる」という会話が増えてきたのはひさしく続いているように思うのは本当に悲しい事なんです。風呂屋がお客様を見なくなったのは一つは番台の作り方も原因があるのではと思うんです。昔の清水湯の番台も入り口に背を向ける形でありました。お客様がはいってきても背を向けたまま見た目はテレビを見たままあまり感謝の想いも込めずに「いらっしゃい」と目も見ずに言っていたのではお客様の心も離れて行ってしまうことでしょう。風呂屋なのにお湯を使うのを制限するのも気もちは節水をもとめたいのはわかりますが、やはりお客様からするとやな風呂屋になってしまいます。先代でうまくいっていたからといって、時代とともに経営環境がかわってくることを勘案しても、基本であるお客様に喜んでいただくためには何をしなくてはいけないのかを、忘れてはいけないと思うんです。これからも、その未来も続く銭湯を僕は続けていきたい。お客様に喜んでいただける銭湯それは、家庭の風呂にもない、銭湯にしかない心から笑顔になっていただけるそんな銭湯を続けていきたいと思います。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

美しくなりたい人を見過ごすわけにはいかないのです。(武蔵小山温泉思ったことブログ)


誰しも変身願望をもっているようでです。むかし顔がデカいのをきにしてよく両手で顔をおもいっきしはさんだ記憶があります。でも顔は小さくなりませんでした。ただ昔はやったエキスパンダーと同じ原理中学生ながらに大胸筋が発達したことはおもわぬ副産物でした。さて、そんな若旦那もバカな時代をへて男でも変身願望があることを身を以て実証してきましたが、結婚していちまでも奥様がキレイでいたいと美容に力を入れている姿をみると本当にいつまでも愛する旦那さまへの一途な思いがけなげにおもえてくるから不思議です。武蔵小山温泉の天然温泉は美人の湯なんです。この温泉につかって美しくなりたいと思われる方はけっして少なくないでしょう。

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体験してみればわかりますが、やはりご家庭の水道水のお風呂とは違いがあるんです。美しくなりたいそんな変身願望、または美へのあくなき追求はきっ愛する人のために湧き出るもので、若旦那はじめ武蔵小山温泉のスタッフ一同その思いを見過ごすわけにはいかないのです。ただ気持ちよく温泉にはいっていただいて、気持ちよく帰っていただく、その天然温泉はどこまでも100パーセントにこだわり、泉質にこだわり、湯量にこだわり、日々のメンテナンスと、日々の笑顔にこだわりぬいていきたいと思っています。美人の元は厳然とあります。それを掴みとるか掴まないかはあなた次第なんです・・・。字余り・・・。(ちょっと効果音で風が吹いています・・・。笑)

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

銭湯哲学!(武蔵小山温泉雑談ブログ)


哲学者のカントは「真・善・美」を極めていたと言われています。(たぶん)また知性(認識能力)、意志(実践能力)、感性(審美能力)の超越的対象であり、古代、中世の哲学的伝統であったそうです。(なんのことだかいまいちわかりませんが・・・。)そもそもなんで人間は生きているのだろうとおもうとよく「にんげんは生きる葦である」という言葉を思い出します。その最初の出会いは週間ジャンプに連載していたサイコガンをもつコブラにその一節が出ていたのを記憶しているからなんです。(もう40年前なのであいまいですが・・。)でもなんで生まれて死んでいくかを考えた時、心の羅針盤みたいなのは時として必要を感じたことのある人は少なくないと思います。

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カントが「真・善・美」であれば、僕は「美、湯、岩」それで行こうと思います。カント的な銭湯考察でいくとなるとこうなってしまうのです。(笑)そもそも哲学、また深層心理学は答えがないものと言われています。体系だけでだから何を言いたいのかわからない。バカ(僕のことですが・・・)に難しいことをいってありがたがらせるのは都合のいい学問かもしれませんが、腹に落ちない、または、スッキリしない答えのない学問ほど人を惑わせるものはないという持論があるのですが、清水湯の銭湯哲学は簡潔!「美・湯・岩」これで決まりです!お風呂にはいって岩盤浴にはいって美しくなる!そういうものなんです。哲学とは・・・。(笑)

けっこうアバンギャルドの武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

フロガール!(武蔵小山温泉雑談ブログ)


スーガール(相撲ガール)、歴ガール(歴女です。そんな言いかたしません・・・)、サーファーガール(おいらロックンローラー♪)といろんなガールがありますが、最近のトレンドは風呂(フロ)ガールのようです。健康の定義は、マッチョでもなく、痩せすぎでもなく、サプリとりすぎでもなく、夏前だけの運動や、これだけしか食べないみたいな極論ダイエットではないんです。また何かに突出した一点豪華主義の美しさや、健康法ではなく、どこまでも自然体、あたりまえのことを当たり前のように行うこれが大切ではないかと思うんです。

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それは姿勢であったり、正しい姿勢、はそれだけでカロリーエネルギーを消費するものですし、骨格だけではなく、内臓にもいい影響を及ぼすものなんです。最近の主流となっているのは免疫系を左右するのは腸内の細菌群ではないかと言われています。腸内フローラという腸内の花畑のように細菌群が住みついているところがあるのですが、その細菌群の強さが免疫力の強さに影響していると言われています。また、当然お腹を冷やすと病気の元と言われていますが、そういった意味でもカラダを温める行為、とくにお風呂に入るとということは、健康万般にわたって健康の基礎になると思います。「冷えは万病の元」、であれば「温めは健康の元」ただ美しいだけではなく、体の中からにじみ出てくる健康美。それがフロガールの美しさの源泉ではないでしょうか。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

清水湯の正面道路は「もとすり通り」!?(武蔵小山温泉雑談ブログ)


「もとすり通り」それは元金もすられてしまう、恐ろしい名前。この通りで商売をすると全財産を失ってしまうという意味合いがふくまれているんです・・・。あ~怖い。誰がつけたかしりませんが、本当にいやな名前です。こんなネーミングがあるなんてことを知ったのは武蔵小山温泉をリニューアルして3年目でしょうか。近所のかなり年配のお婆さんと普段挨拶を交わしていたのですが、ふと呼び止められて「あんた、よくこれだけ繁盛することが出来たわね」と言われたんです。それはなぜか後地交差点から南側のこの通り(正式名称は朝日通りと呼ばれています。通称温泉通りですが。笑)は「もとすり通り」と呼ばれていて、「商売をしてもほとんどがうまくいかないで去っていくのよ」と教えてくれたんです。僕は「え~!しらなかったです」とびっくり。お婆ちゃんはそのまま言霊だけをのこして去っていきました。

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そんないわくつきの通りだなんて・・・。怖い。きっと昔竹林時代に古井戸があってそこに貞子的な人がおっこっちゃって、きっとリング的なことがおきたんじゃないのではでは~と取り乱してしまいました・・・。で、機をとり戻してよくよく考えてみると、そんななかお婆ちゃんは「そんな通りでさえ繁盛させるなんてあんたすごいじゃない!」的な逆説的なことを僕に伝えてくれていることに気がついたんです。そういえば僕はオバケや幽霊、迷信、占いなるものを一切信じなかったこと気がつき、なんの道だろうが、アントニオ猪木氏の「一足が道になる」そう自分の歩いてきた道が道になるんだ!迷わず行けよなんだと気がついたことなんです。道じゃない、通りじゃない、環境でもない、ましてや迷信や噂じゃない、自分の信念の道を進むしかないのです。それはお客様に喜んでいただける銭湯を築くこと。それしかないのでしょう!気合いだー!

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。