超温泉!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)
2016年10月26日
宇宙ってはじまりがあるのか、はじまりがなかったのか、終わりがあるのか、終わりはないのかどっちだと思います。なんかの本でよんだことですけど、大別すると2つの理論があるとのこと、それは宇宙はビッグバンによってはじまり、(超恒星の終焉による大爆発からの新しい宇宙の創造ともいえる)そしてはじまりがあるということは終わりがある。もうひとつは、そもそもはじまりはないという前提に立ち、ゆえに終わりもない。かりにビッグバンがあったとしてもそれは宇宙の途中経過での一現象であって、どこでもボコボコあり得る、それ自体が宇宙を小さくとらえ過ぎているというもの、そもそも宇宙は人の呼吸のようにふくらんだり縮んだりしていて、成長している。ここはビッグバン説とおなじで宇宙は膨張していることは共通しているようです。さて果たして宇宙の果てなど見ることは不可能ですし、かの有名なホーキング博士もタイムマシンは不可能と断じていて、相対性理論のアインシュタインの光の速度を超えることができればバックツーザフューチャ―はあるかもしれませんが、現実は無理そうです。そもそもタイムマシンなど無用の長物だと僕はも思っているのですけど・・。
さて2つの理論はそもそも西洋哲学と東洋哲学の根本的な哲学の相違と言われています。命にはじまりがあるかそれとも永遠か。その根本的な哲学(考え方)の主張といわれています。正直日々の生活が大変なのでどっちでもいいのですが、考え方において終わりがあるより永遠の方が高尚のような気はします。そう長生きすると言っても健康になりたいと言っても、美しくなりたいと言っても「生老病死」は避けられないのですが、命が永遠ならまた生まれてきても命には刻み込まれている何かがあると思いませんか?だから善につながることをしたいし、命を汚すこと、また他者を傷つけることはすること自体間違った生命観だとおもうのです。そのいいことをする。その源泉が心の温かさであり、死生観を超えた、また宇宙の始まりを超えた、現実的で超身近にあり、日々の生活に生かすことのできる、超幸せを実感できて、難しいことなど関係なく単純に「いい湯だな」という幸せのフレーズを言葉に変えることのできる武蔵小山温泉の天然温泉は「超温泉」なのかもしれませんね。
武蔵小山温泉清水湯若旦那談。
カテゴリ:雑談