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湯~メイクミーハッピー!(武蔵小山温泉雑談ブログ)


温泉いいですね~。健康うれしいですね~。幸せでいたい~。せっかく生きているのですから誰もが生きていること自体が楽しくありたいものです。それこそ箸がころがっても楽しい、そんな境涯になりたいものです。人って明らかに生まれながら不平等な生き物ですが、時間においては誰もが平等なんです。誰もが24時間を平等に与えられているわけです。人の幸福感って同じ境遇にあっても感じ方が違うようです。同じ障壁を登っていても苦しい顔をしている人もいれば、笑っている人もいる。僕はどうせ同じ時間、同じ苦労をしているのなら楽しく笑いながら前に進んでいこうと思っています。でもその時、必要なものがありますそれは僕を支えてくれる愛する妻そして「温泉」なんですね~。

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おなじ苦難の道を行くにしても温泉があるのとないのでは雲泥の差があるんじゃないでしょうか。実際清水湯を建て替えているとき身近に温泉がなかった環境はとてもつらかったことを覚えています。一日の中で楽しいこと苦しいことそして哀しいことがあっても一日の終わりに「温泉」にカラダを包み込んでもらって、明日への活力源となる。そんな温泉は本当に地球の奥深くから溢れるように出てきた生命力の源じゃないでしょうか。僕を幸せにしてくれる温泉、そのことによって幸せに包まれる家族、いいことづくめの「温泉」はきっと皆さまを幸せにしちゃうんじゃないでしょうか。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

思いやりと信念のあるポジティブなオンティブ思考でいきましょう!(温泉健康生活のすすめ)


世の中には、思考法としてネガティブ(悲観的)、ポジティブ(楽天的)、がありますが、風呂屋の旦那として第3の思考法として「オンティブ」を推奨していきたいと思います。(笑)感のいい方はすぐわかっちゃうかと思いますが、オンティブのオンは温泉の温なんです。ネガティブが悲観的としても現実にのっとって現状を分析して可能か不可能かを合理的に思考できるのでそれはそれで必要な思考回路じゃないかと思います。また、ポジティブ(楽天的)も、前向きな思考回路ではありますが、おおざっぱになりすぎて夢見がちなところもあったりなかったり、天下無敵な感じですが、それぞれに一長一短があるんじゃないでしょうか。僕の推奨するオンティブはその中間まさに中道ともいえるもので、夢と現実、合理と無鉄砲、暗と朗、ち密さとがさつさ、理論と空論、合理と不合理、因果と行き当たりばったり、世の中の森羅万象の陰と陽をひっくるめて右でなく左でもなく、いうなれば薩摩の関ヶ原の戦いのように敵中突破のように真ん中の大道を進んでいく、また、覇道ではなく王道、武力ではなく対話、偏見ではなく思いやり、そんな優しいけど信念のある、時代によって吹く根無し草のような風に右往左往しない軸のさだまった、ど真ん中の思考回路、いわゆる信念が必要な時代じゃじゃいかと心を豊かにしてくれる清水湯の温泉にはいっていると時代の変遷に左右されたくない自分に気づくんですね。

誰でもわかってることですが、平和が一番なんです。

誰でもわかってることですが、平和が一番なんです。

歴史の一断片だけを、歴史の全体像として拡大解釈しても始まらないし、心ある人は気がついていると思いますが、世界の平和を作ることというのは、隣近所のおばちゃん、おじちゃんなんかと仲良くすることとまったく一緒なんですよね。前提に信じること、そして信頼すること、お互いが違う人間ですから、考え方が違うのは当たり前なので、共通点を見出しそこから友情をはぐくんでいく、好きな食べ物でもいいし、好きな音楽でもいいし、それが規模が大きくなれば、文化や芸術、学術交流などという言葉に変わるだけのことだから、でもそこにはお隣さんを気遣う同じ付き合い方が適用できるのは、他者を思いやるということにおいてまったく一緒なんだといいうことなんです。それと人は一人じゃ生きていけないという論拠に父母の存在がありますが、国の生い立ちにおいても伝わってきた文化や習慣、それこそ人の基盤になっている哲学、信念などもどこから来たのかなども感謝の念をわすれてはいけないと思うんです。とかく日本人は「のど元過ぎれば何とやら」で報恩感謝の気持ちを忘れやすいので、それこそ沢山の人から支えられて今にいたることも忘れてはいけないことだと思うんです。一庶民の風呂屋の旦那でさえ、将来にちして一抹の不安感をぬぐえないのは妄想ではないように思いますし、つねにニュートラ、つねにフラット、つねに常在戦場、さらに平和は受け身では作ることは出来ない、一人一人の心に左右の風にびくともしない平和の心を築くしかないのではないでしょうか。その一人一人が草の根のように大地に広がってどんな大風が吹こうとも崩れざる平和の大城を守り育てることができるのではないでしょうか。そんな平和はただじゃないなーなどとアホな一握りの為政者のために大事なお母ちゃんたちを泣かすようなアホな歴史を繰り返さないためにも、一度頭を水風呂で冷やして、冷めた心を温泉で温めて、冷静に心のニュートラルにもどして、ど真ん中の精神状態にオンティブになってみてはいかがでしょうか。温泉につかるだけで、平和への思考回路がつよく太くなってくると、昔悪太郎の若旦那で実証済みですので、平和創出の湯、清水湯で心に平和の金字塔を築いてみませんか~。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。平和ほど尊いものはないですよ~。

霊験あらたかな湯。(温泉の伝記)


日本各地にある有名な温泉にはある種の、伝説が残されています。温泉はそれ自体が不思議な力をもっているとされていて、ただの温かい液体が、畏敬の念が高まって神聖なものとされてきた経緯があるんです。いまでも有馬温泉などにもある温泉寺などはその表れではないでしょうか。温泉がいわゆるひとつの信仰の対象になっているのは、それ自体が何かしらの力を有しているのと信仰行事に温泉が深くかかわっていたことも関係していたと思われます。鎌倉時代の元寇の役で傷ついた兵士たちの温泉療養も応仁の乱以降の戦国時代も温泉を利用した療養が盛んだったのが現実に傷ついたカラダ、そして精神に大きな癒しをもたらしたことは歴史が物語っているわけなんですね。

温泉パワーはあるかもしれません。

温泉パワーはあるかもしれません。

現代においても温泉を利用した湯治(温泉療法)は根強い支持があり、「3日で1めぐり」といってそれを3セットくりかえす入浴法もあり(玉川温泉)ある意味、その温泉に適した湯治法が確立されていて、温泉の効能を最大限に引き出しているんです。武蔵小山温泉では温泉成分が玉川温泉や草津温泉などのように成分が濃すぎることもないので、毎日の生活の中に取り入れていただき、1日の疲れの汗を流す、そんな思いで日常生活に温泉生活を取り入れてみて、健康生活の軌道に乗っかってみてはいかがでしょうか。一人一人に合った霊験あらたかな湯は決してどこか遠くの温泉場に行かなくてはあるわけではなく、灯台もと暗しのように、身近の温泉があなたの霊験あらたかな効能一杯の温泉じゃないでしょうか。日々の生活に清水湯の温泉を取り入れてみて健康生活を送ってみましょう。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

 

参考文献 温泉と信仰 http://www.norte.co.jp/yu/nihon/nihon_02.html

私があなたの町の宣伝本部長愛川欣也です。(温泉と武蔵小山愛)


アド街に出させていただいたのがかれこれ15,6年ぐらい前ですから、あれからしばらくアド街さんも武蔵小山に来てないですね~。そろそろ来てくれないかな~アド街♡。それにしても息の長い番組ですよね、「アド街ック天国」そして司会の愛川欣也さんの「私があなたの町の宣伝本部長愛川欣也です。」も鉄板です。さて、アド街のいいところは、取材をしている時点で街に溶け込んで、その街のいいところをしっかりと視聴者に見せようと言うところなんです。本当に足を棒のようにしながら、隅々までまわって、その町の良さを探していました。個人的な考えなんですが、最近は人の悪口をdisというのでしょうか、自分のサイトの訪問数を増やしたい方法論として人様のいわゆる悪口を軽々しくかきたてている風潮にはなんだかうすら寒いものを感じるのは僕だけでしょうか。とくにリテラシー云々などと心の狭さを感じさせるような杓子定規的な思考論理のかたがたに多く見受けられる気がいたします。

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人というのは悪口は言い易く、褒めるのは言い難しと言われているんですが、たしかに悪い噂は広がりやすく、良い話はなかなか広がりづらいものです。僕自身も褒められないと育たないタイプですので、3人の子供を妻と一緒に育てていて思うのは、褒めることでわかりやすく成長するということなんです。怒ることも大切ですが、あくまでも理性的に怒らなくてはいけないし、感情的に怒るのが一番よくないなーとつくづく思います。褒めるというのは、目に見えるもの見えないものも含めて、自身の心の目を開いていないと見えないわけで、結構労力を使うものなんだとおもうんです。逆に怒るのはある意味感情にまかせればいいだけで、自己満足に近いものなんじゃないでしょうか。昔、いい先輩がいて悩んだら「難しい方に行け!きつい方を選べ!」といわれたことがあるのですが、今では本当にその通りだと心から思います。いいものは積極的に作り出していかないと良いものとして広げることができない、だから伸びているところ、成長しているところは厳しい中にも優しさがあり、楽しさがあり、明るい雰囲気が醸し出されているものなんです。たぶん平和なんかもおなじ原理だと思うんです。また山岡壮八の徳川家康にもありますが、「殺したら殺される」というくだりが「悪口いったら悪口言われる」また、語るに落ちるともいいますが、頭よさそうなのが、往々にして語れば語るほど底が浅い気がするのは気のせいじゃないでしょう。「褒めるは難し、けなすは易し」という思いで、清水湯の若旦那の役割は、目をこらしていいものを見つけだし、また感受性を高めて、心でも見れるようにいいところをほめ伸ばしていける新たな一年を始めたいと思っています。逆説で「褒めれば褒められる」もまた真なりですおで、僕はけなすことは絶対せずに、お互いの良さを認めつつ、そして尊敬しあいながら、また褒め合いながら武蔵小山を住みたい町日本一にしていきたいと決意しています。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

心に残る銭湯をつくりたい・・・。(温泉談義)


誰しも、生きている足跡をのこしたいと思うものではないでしょうか。昔聞いた話で「岩にしがみついて爪痕だけでもいいから生きてきた証をこの世に残したい」といっていたことをふと思い出しました。それは一理あるななんて、その時思ったんです。それに生存競争的な視点からみても壮絶な競争のなかから勝ち抜いて生まれてきていることは間違いないことで、生まれてきたことだけでも、ものすごい奇跡であり、かなりラッキーなことは間違いないんです。だからこそ、限りある命を大事にしたい、またなにか役割があるのなら、人のお役に立つことをしたいと思うのが、当然の成り行きではないでしょうか。人は一人では生きていけないのですから、両親に感謝するのも当然ですし、色んな方々からお世話になりながら大きくなっていくものですから、常に感謝の思いを忘れてはいけないし、むしろ感謝のアンテナを貼っていないといけないと思うんです。ちょっと人生でうまくいっているときにありがちな、なんでも自分一人だけの力というのは僕は違うと思うし、慢心になった瞬間から幸不幸の慣性の法則でまちがった道に軌道が向いてしまうんじゃないでしょうか。

元気のもとそれが銭湯です。

元気のもとそれが銭湯です。

この慣性の法則は、幸せか不幸せかのシーソーゲームのようなもので、良いことをしていればおのずと幸せの軌道に乗って上昇して行けるし、人の足をひっぱってばかりいるような、ちょっといやなかんじで生きていると気がついたらなんだかやなところに来ちゃったな~みたいな不幸せ感にひたってしまうみたいな感じでしょうか、いずれにしてもお天気に晴れと雨や嵐があるように生きるということも同じ自然の道理が通じているのではないでしょうか。であるならば今、僕が置かれている立場として、武蔵小山の清水湯の3代目として生まれてきて、こんなユニークな銭湯があったよと人々の心に残る銭湯をつくりたい・・。そんなことを単純な頭で思うんですね。風呂屋で何ができるか、銭湯で何を伝えられるか、そしてどうしたら喜んでいただき、その人の心に幸せ感を贈ることができるか、そこにこれからもこだわって、小さくて地道ではありますが、銭湯の3代目として精一杯頑張っていきたいと思っています。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

Oの奇跡。(温泉の効能)


清水湯を建て替えるまえに全国の温泉を湯めぐりしたのですが、日本は温泉立国本当に情緒と趣が素晴らしく、都心の銭湯がどうあがいてもあの雰囲気は作り出せないと観念しました。それこそ町全体で温泉場としての町作りをしていることをかんがえると、心を一つにして目に見えないところから切磋琢磨しているであろうことは容易にうかがい知ることができるんです。そして個店がそれぞれに努力をして、全体の底上げが人気のある温泉場であればあるほど強固にされているんです。温泉場とは少し違いますが、小江戸川越も町自体が江戸の町のようで今大人気のスポットになっていますし、かならずキラーコンテンツというのでしょうか、格闘技で言えば、必ず必殺技があるのが人気のある町の要件になっているようです。愛する武蔵小山はパルム商店街という必殺技があるので、毎年沢山の方がたが来訪していただいております。

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そんな中で清水湯が武蔵小山の町のためになにかお役に立つことはないかといえば、やはり温泉を用いた地域貢献しかないと思うんです。幸い2つの天然温泉には、それぞれ普通のお湯と体感として違う効能を感じることができますし、武蔵小山の少し下町チックな雰囲気に和風な銭湯清水湯もマッチしていると思うんです。当初、ハワイ風にするか、バリ風にするかすこし悩みましたが、やはり和風にして正解でした。(笑)天然温泉の黒湯は美肌作用、肌がしっとり、化粧水をふりかけたような感じになり、保温効果も高く、黒湯ですが透きとおった黒湯なのが東京の黒湯の中でもかなり貴重な部類じゃないかと思います。黄金の湯も地中1500メートルもの大深度から超新鮮な状態でくみ上げ、それを贅沢にかけ流しで湯船に注いでいるのですが、Oの奇跡じゃないですが、温泉の奇跡ともいえる、正直450円の銭湯価格でこれだけの2つの天然温泉がふんだんに使われているところは、山の温泉場以外ではちょっと知りません。ガスも電気も手間もものすごくかかるのですが、自分が入ったら嬉しいものをお客様にご提供したいと思ってたらこんな銭湯になってしまったというだけのことなんですね。まだまだ寒い時期も続きますが心もカラダも温めて健康で活動的な生活を続けてみてはいかがでしょうか。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

 

むさこトレイル。むさブラのすすめ。(温泉&トレッキング)


最近、富士山がなんたらかんたらで認定されたということで、なんとか登山とか、入山料がいくらになるとかニュースになっていましたが、いわゆる登山をトレイルというらしいんです。直訳では、舗装していない道を走っていく、道なき道を進んでいく、そんなイメージでしょうか。さて僕的には活火山ではないのですが、武蔵小山も小さな山じゃないかと妄想しているんです。なんといっても武蔵小(山)ですから。そんな武蔵小山は明らかに高台で、山手線沿線内が山の手なんて言われていますが、それよりもはるかに高台にあることに気がつきます。例えば清水湯から東の方角を見ると、ソニーの本社がみえるのですが、明らかに清水湯の方が高い位置にあります。視線が同じなんですね。高層ビルの上の部分と。関東大地震のときも武蔵小山は被害が最少で済んだと聞いています。(地盤が固い、昔は竹藪だったこともあり、地盤が固いと言われています。)

DSC_0680                  歩くという基本的な動作こそ継続できる健康法です。

何と言っても高台の地形から水はけがいいので、大雨や洪水などと無縁なのも安心じゃないでしょうか。そんな武蔵小山はパルム商店街を中心に栄えてきて今では、住みたい町ナンバー1を狙えるほどの町になってきています。そんな武蔵小山探索、いわゆる「むさブラ」をしつついまだにメディアに取り上げられる前の名店がわんさかしていますので、それこそ道なき道を散策するような思いで、むさブラの比較級でいうと最上位の(笑)「むさこトレイル」をしてみてはいかがでしょうか。案外、「えー!こんなところに新しいお店が~」とか、「知らなかった~、こんな美味しいお店ががあったんだ。」とか、「こんなところに亀がいたんだ」なんて新発見があることでしょう。温かい温泉あり、美味しい食べ物あり、いい人多しの武蔵小山で楽しい散策をしてみてはいかがでしょうか。そう、道なき道を進んでいくといういみでは武蔵小山温泉はそんなトレイルを続けていこうとしているのかもしれません。(キリッ)笑

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

恋(濃い)っていいですか?いいですよ~。笑(温泉賛歌)


5年前の建て替えにあたり、日本中といっても有馬温泉、霧島温泉、近郊のスーパー銭湯などまわりにまわって人気の秘密を探りに行ったことがありました。まず共通して言えることは、清潔であること、手に触れる、目につくところは当然のごとこ、キレイにピカピカしていました。そして、スタッフさんの雰囲気がいいこと、挨拶はもちろんのこと、笑顔がいいところは、ほとんどが流行っていました。案外、場所は大通りになくても、人通りがなくてもあまり関係なかったように感じました。また、人気のある銭湯でもカラン(席)の数はそれほど多くなくて、うまく回っているんだなと感じました。でも印象に残る銭湯の一番の特徴は温泉の泉質だったと思います。それも温泉の濃度、いわゆる濃い温泉ということなんです。とろ~っと最初汲み上げた時は、薄い灰色の温泉でそれほど感激はなかったし、黒い温泉がすでにあるものですから、全然違う温泉を掘り当てたい、そんな思いが強かったので、すこし期待外れみたいな感じになったのを今でも覚えているんです。

濃いっていいですね~。

濃いっていいですね~。

で、建物が出来あがって、さー試にに新しく掘った温泉を湯船に満たして、歴史的な一番風呂に入ろうということで夫婦水入らず入ろうとしたときに、ビックリ仰天、なんと温泉の色が「あれ、こんな色だったっけ!?」なんてびっくりしたんです。そうなんです。なんとなく地味な感じの色合いだと思っていたのが、少し黄色味がかって、(それも少しずつ黄色味が強くなってきたんです。)色が変わったことに「これなら黒湯に負けない温泉になる」と確信したんです。温泉分析に出した時も、検査官からこんなに濃い温泉はなかなかないと褒めてもらいましたし、僕が日本の中で見て入って感じた温泉の中でも、決して引けをとらない素敵な恋してしまうほど濃い温泉じゃないのかなと思っています。掘り当てるまで、また掘り当ててからも沢山の方がたに恋していただいて、また喜んでいただいている、第二温泉の黄金の湯をこれからも大切に、また皆さまによろこんでいただきながら、連綿と銭湯の灯を守りつづけていきたいと思います。

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男はだまって武蔵小山温泉(温泉雑談)


昔、「男はだまってサッポロビール」というCMがあったのをごぞんじでしょうか?当時中学生ぐらいでしたが、オヤジが飲んでいるビールをすこしだけ飲ませてもらった風呂上りのサッポロビールのうまいこと。(笑)男はだまってサッポロビールなんだなと中学生ながらなっとくしたものです。それまでは子供の頃からお風呂掃除をしてきて、風呂掃除の終わった後の「ラムネ」の美味しいことといったら子供ながらに勤労意識が発達したようなきがするのはこの時の体験からなのでありましょうか。、そして大人になってからの風呂掃除をした後のひとっ風呂あびたあとのビールの美味しいこと、本当にお風呂は人生の一つまみの喜びをなぜか倍増させてくれる、エッセンスであることは間違いないことでしょう。昨年は運動のし過ぎで2回も肉離れをおこしてしまい、そのつど奇跡的にむちゃくちゃ早い回復力で復活できるのですが、これも温泉力のなせるわざじゃないでしょうか。

 

今年もがんばりまーす!

今年もがんばりまーす!

しかしながら、カラダの老齢化はいたしかたなく、誰でも歳をとるものですが、その歳をとるほどに「温泉」が本能からうれしく、またカラダが求めているものはないと思うのは僕だけじゃないと思うんです。誰もがなにかしら、清水湯の温泉の効能をうっすらと感じているのではないでしょうか。人間はパンだけでは生きていけませんが、それと同じで温泉だけでも生きていけないものです。でもあきらかに温泉が引き出してくれた良い結果があるのは間違いないと長年、温泉に浸かってきた僕は確信を持っているんです。温泉にはいると「病気」がなおる、とは言いませんが、温泉に入ると「健康」になるとも言いませんが、温泉に入ると「心」が晴れるとだけはいいのこしておきたいと思います。ある意味理屈じゃないんです。カラダが感じるんです。また、心が納得するものなんです。そういう意味でも男はだまって温泉なのかもしれませんね。(笑)

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そうだ。銭湯へ行こう。(温泉ブログ)


銭湯すたれば人情すたる、心のルーツを求めていざ銭湯にゆかんとするかなる趣旨の詩が昔の清水湯の真ん中の柱に打ち付けられていました。気にも留めずにいて建て替えの時はそのまま取り壊してしまいましたが、なぜか心の奥の隅にこの詩の一節がいつまでも残っているんです。調べてみたら同じように覚えている方がいるんですね。全文はこんな感じです。

田村隆一作詞

銭湯すたれば 人情もすたる 

銭湯を知らない子供たちに
集団生活のルールとマナーを教えよ
自宅にふろありといえども
そのポリぶろは親子のしゃべり合う場
にあらず、ただ体を洗うだけ。
タオルのしぼり方、体を洗う順序など、
基本的ルールは だれが教えるのか。
われは、わがルーツをもとめて銭湯へ。

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いい詩じゃありませんか、銭湯がすたれてくると、人の情けもすたれてくる、銭湯が昔から心のよりどころとなり、世代を超えて礼節などを育む地域のコミュニティーとなっていたのを、温故知新のおもいで、時代は変わっても銭湯の良さを受け継いで後世に残していきたいと思うんです。この詩ができたのはもう30年以上前のじゃないかと思うのですが、時代は新しい息吹を生み出している可能性もあり、この時代に合った新しい詩が生まれてくることも、銭湯の勢いをかんじれると思うんですよね。温故知新、古きも良し、新しい銭湯の息吹も良し、地域に貢献して、一人一人の客様に喜んでいただける銭湯を築いていくことが、「そうだ、銭湯に行ってみよう」と思っていただけることに通じていくんじゃないでしょうか。新しいお客さまの創出、小さなパイの取り合いではなく、銭湯に行ったことのないお客様を、銭湯LOVEのお客さまに変えていく努力が銭湯経営者に求められているのではないかと感じる今日この頃です。

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