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銭湯AGOGO!(武蔵小山温泉行きたくてたまらなくなるブログ)


世の中、世知辛いと思いませんか?SNSが世の中に浸透していったとしても、そこに映されるのは不自然に笑ったセルフィー写真。一生懸命笑った顔にはいままでなかったいつもの作られた顔がならんでいるような気がするのです。友達の数が多い割には本気の投稿には「いいね!」がすくなくて、もともと希薄な人間関係がさらに希薄になっているのは、インターネットの功罪かもしれません。さて、最近あるサーファーのブログを読んでいてビックリ仰天したことがあります。それはインドネシアのバリ島では自殺者がゼロだというのです。しってました?日本は交通死亡事故者が3万人だー!といっている世の中、自殺者がそれ以上なのです。病んでます完全に。あまりにもかわいそうすぎます。昔の言葉で「生かさず殺さず」という言葉があるんですが、まさに今でもこの言葉は生きているように感じます。実際、バリ島の友人に「バリって自殺する人いないの?」と聞いたら、不思議そうな顔をして「なんで?いないよ」って感じでした。

その時本当に驚愕でした。そして、ある種、心の奥の方からふつふつと不思議な感覚が沸き起こってきたのです。それは「ジェラシー」だったのです。バリ島は決して裕福な国ではないのです。でも笑顔は日本人の誰よりも輝いている、そして家族、友人を大切にしている。ビッグファミリーになるほどに幸福だと考える、そして何かあれば力になってあげる、それも優しくじっと話を聞いてあげる、何度もそういうところを見てきました。幸せの笑顔って、そして自然と溢れるように笑う笑顔ってこんなんだったんだと気づかされるのです。さて、そんな世知辛い、地獄の釜茹でのような島国で生まれ育ち、これからも生きていかなくてはいけない宿命深き我々は生きていくためにそう、本当の笑顔をとり戻すために、心を温めようではありませんか。バリ島がハピネスマインドなのはそもそも南の島だからです。温かいということはそれだけで幸せなのです。地域に点在するバリバリハピネスハートウオーミング銭湯に今からGO!母音の感嘆詞とともに心から溢れてくる笑顔が湯船に満開となることでしょう。

武蔵小山温泉 清水湯 ジャパニーズバリニーズの三代目若旦那談。

初日の出!輝く銭湯の新しい幕開け!(武蔵小山温泉謹賀新年ブログ)


今年も素晴らしい旭日が東の地平線から昇ってまいりました!漆黒の真冬の大気が徐々に赤みを帯び、そしてオレンジ色に輝く地平線を覆うようにブルーの空が広がって、清新な大気に包まれながら今年も心機一転、新たな年と共に「武蔵小山温泉」という銭湯の歴史を作っていこうと決意した次第です。

昨年は大変に沢山のお客様にお越しいただき真にありがとうございました!銭湯の残存数は600軒台となり、いまだに厳しい生存をかけた戦いが繰り広げられています。その中で一筋の曙光がSNS等または実際に遠方より足を運んでいただいて銭湯を盛り上げていただいている沢山の心ある人びとではないかと感謝の思いでおります。

銭湯を取り巻く環境はますます厳しいものになってまいりますが、地域に残った銭湯の役目として、これからも何とか残存しつつ、皆々様に喜んでいただける銭湯の光り輝く灯を守りつづけたいと思っています。

今日のように光り輝く旭日があるかぎり、そしてその明るく輝き、その陽によって心が温めることができるならば、いつまでも負けじ魂で厳しい世相を乗り越え、小舟のような銭湯のかじ取りを大波にすくわれないように、がっしりと足を踏ん張りながら益々、降りそそぐ太陽のように、そして伸び逝く若葉のように永代にわたって栄えていく決意です。

さー今日より、明日へ、そして未来に向かって、皆々さまへの感謝の思いを心に植えて、お客様ファーストで前進前進の一年にしていく決意です。

冬は必ず春となり、春は夏、そして実りの秋になり、太陽はかならず頭上にあり、心を温めてくれるものです。自然に近いほどに心が洗われ、心が温まり、心が豊かになるものです。地球から湧いてくる「温泉」も幸せの源泉なのです。

今日も明日も明後日も心が喜ぶ「温泉」の湯天使が舞に舞っています。今年も何卒「武蔵小山温泉」を愛していただけるよう何卒宜しくおねがいもうしあげます!

謹賀新年 武蔵小山温泉 清水湯 三代目若旦那談。

今年も大変にありがとうございました!黄金の湯☆3代目の思い。(回想録 俺の銭湯で書けなかったこと。)


今年も沢山のお客様にお越しいただき本当に感謝の思いで一杯でございます。約3年続いた小説「俺の銭湯」も無事終わり、今も全体をさらに完成度を高めるために加筆、校正をしている最中です。来年も飛躍の年にするために更に皆々様に喜んでいただける銭湯になっていけるように頑張ってまいります!

 

黄金の湯を掘ろうと思ったのは、約18年前、今は亡き父親が天然黒湯温泉の掘削に成功してからです。この天然黒湯温泉は品川区方面では初めて掘削が成功した温泉で、今まで大田区方面では黒湯系の温泉が出ることがあっても品川区で温泉が出るとは考えられていませんでした。昔から博打好きで一時大井競馬場に競走馬を2頭も持っていたこともあったくらいでいつも盲牌を自慢していた6大学出の父(オヤジ)は死ぬまで怖くていつまでも越えられない存在でした。そんなオヤジが突然何をトチ狂ったの「温泉掘るぞ」と家族に打ち明けてきたのだから、ビックリ仰天。いままで母(オフクロ)に迷惑ばかりかけていやがって~と思っていたので、寝ている間に首でも絞めてやろうかと思ったほどでした。(笑)それが今から18年前の平成6年のことでした。このオヤジの天下分け目の出なければ長男にボコボコにされるのを覚悟した博打は大成功!清水湯に最高の天然黒湯温泉が湧出することが出来たんです。結果オーライその時ほど、オヤジが博打(ばくち)打ちでよかったと心から思いました。しかしその喜びと同時に反面、オヤジには負けたくないな~と心の奥からふつふつとジェラシーが沸き立ってきたのも覚えています。笑。

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このオヤジを超えるのは「石油を掘り当てるか」「単純に10倍以上深く掘ってもっといい温泉を掘り当てるしかない」と心に決めたものです。さてその後12年かけて借地だった土地も地主にお百度参りして土下座しまくってやっと土地を売ってもられると首を縦に振らせることが出来たのが平成18年。3代に亘って続いた借地人がついに借地をひっくり返すことが出来た大事件は、地元でもちょっとしたニュースになるほどでした。すべては、この土地に銭湯の灯を消したくはない、カッコつけてる訳ではないのですが本当にそんな想いで、長年耐え忍んできたんですね。で、早速自分の土地になったんで「さー、とは言っても、新しく銭湯建替える事は出来るようになった、という事はべつにマンションにすることも出来るんじゃいの・・・☆」みたいな悪魔のささやきが出てきたことも事実なんです。(笑)実際、家族会議を開いた時に僕が、切り出したのは(最高に夢のような選択枝なんですが)「銭湯やめてマンションにしてハワイに暮らそうか~☆」でした。笑。当然母親と妻は反対して「おじいちゃんとおばあちゃん達の喜んで帰っていく姿が忘れられない」ということで当然の如く断念、当初の初志貫徹のニュー清水湯を作ることに決めたんです!その時、本当にお客様に喜んでいただけることはなんなんだろうと、本当に悩みました。また、地域にお世話になっていたことの恩返しもしないといけないと想い無い頭を総動員して悩みに悩みました。そんな時、先述の父親が天然温泉を掘り当てた時のことを思いでして、「そうだ、オヤジを超えられる最高の温泉を掘ろう」と決めたんです。それに都心で2つの天然温泉を持っているところなどなかなか無いと思い、それならお客様も喜んでくれると確信しました。さーこののち温泉掘削に入るのですが、僕の人生でも本当に大変な佳境に遭遇したと今でも思います。またこの苦境を乗り越えられたからこそ、今本当に愛情をもってオヤジが残してくれた天然黒湯温泉と3代目の僕が掘った黄金の湯を心から大切に出来るんだと思っています。温泉掘削後の話は第二部でまとめようと思いますが、一つだけ言えるのは、特に黄金の湯は相当な覚悟が無いと温泉からしっぺ返しを食らうことを覚悟しないといけないという事なんですね。分かり易くいうと猛獣か超高性能なスーパーカーみたいなもので、いつも心を配り続けられる覚悟が要求されます。ですからいわゆる普通の銭湯は真似しない方が賢明です。かるいノイローゼにかかる恐れがありますので。笑。さて難しいもので本当のことを分かり易く面白く説明することほど難しいものはないのですが、良き伴侶と同じで縁なのかもしれませんね。温泉も・・・笑

武蔵小山温泉3代目談(黄金の湯☆3代目の思い。第一部)

 

エビデンス?縁起物の海老のほうがいいわ!(武蔵小山温泉心の健康ブログ)


生きている現場ではけっして理論(いいかえると今わかっている小さな知識のなかでの理屈)だけでは説明しきれないことだらけじゃないでしょうか。それは専門知識が必要な医療の分野においても明確です。時には切った貼ったの医療が必要であり大切な時もあるのは間違いないのですが、それ自体が全てであり、ありとあらゆる医学が全能という考え方には違和感を感じざるを得ないのです。医学はエビデンスを尊びます。実際結果が正しいのか。それが大切なのです。ですが医学がいつも正しかったとは到底思えない。それは普段生活している庶民の市井のなか生きていても感じることはできるでしょう。薬をのんでたちどころに風邪が治った人は世界中にいるのでしょうか。ガンになって魔法のように治してももらったことがあるのでしょうか。そもそもガンを克服というよりもガンを撲滅することはできないのでしょうか。西洋の諺にこんなことばがあります。「医術は患者を慰めることにあり、自然は病気を治す」患者が病気を自分の力で治しているのであり医者はただ見ているということなのです。極論ですが、そうでもないか。実際、病気になった時病院には行きますが、風邪ならただの風邪かインフルか確認したらあとはひたすら寝るだけでしょう。タミフルを飲んでも効きますが、やはりそもそもの自分の体力や自己免疫力に負うところが多いのです。最近感じる、脅迫装置、じっぱひとからげに各論ばかりで何を論争しているかもわからない。

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それぞれが我田引水、利益相反、長いものに巻かれろ、後出しじゃんけんばかりで、結局庶民が損をしてしまう。多過ぎです。人はそれぞれが自由にそして幸せになりそれを享受する権利があるのです。したり顔の詐欺師に引っかからないためにも。自分の健康は自分で守り、家族の健康も自分で守りながらも、世の中にうじゃうじゃある怪しい情報に侵されないためにも心を鍛えていきたいものです。まさに電脳をリセットして心を軸に据える時代が来ていると思います。そのためにも自分の母港、心の帰る場所が必要になってきます。僕はそれは海であり、二つの湯舟になりますが、ひとそれぞれ自分に合ったバックボーンは必要でしょう。僕自身の教訓!「枝葉にとらわれない大道を進んでいく!」さて、死はいつも身近に存在しているものです。むしろ死がいつか訪れることが約束されているから逆もまた真なりで「生きるということに実感が湧いてくる」ものなのです。実際ジェットコースターにのったあと、バンジージャンプをしたあと、デカい波にのったあと、生きてる実感を感じませんか?人の生き死になどまだまだほんの何億分の一さえも解明されていないのです。そしてたいそうな医学さえもなにを解明していると言えるのでしょう。なんとか万能主義に陥ることのほうが危険この上ない。なんだか最近のデマゴーグ増幅装置と化しているSNSのフィールドをみているとうんざりしちゃう3代目若旦那より。

武蔵小山温泉 清水湯三代目若旦那談。

シューマイ弁当は子供時代の思い出。(武蔵小山温泉グルメ散歩)


白いタイルがただキレイだった清水湯。いつももうもうと湯気を上げていて人々を近寄らせない閑古鳥が出すオーラがあった清水湯。お客様がいないから普通に浴場が汚れなかったし、二代目のオヤジが塩素だけはふんだんに投入してたからお湯も汚れなかった清水湯。少ないお客さまの中に混じって毎日このクソ熱い風呂に入りに来てくれていた「スズキのとっつあん」がいた。夜8時になると必ず二つある浴槽の端の半畳ほどの風呂屋の俺も何のためにあったのかしらないスペースに腰かけて風呂に入ったり出たりを繰り返して体中に大粒の汗をかきながらたまに浴槽のお湯をくんで汗を流す、そのとっつあんの時間に合わせ毎日俺も風呂にはいっていた。たまの日曜日の休みの日は一緒に横須賀の安浦という埠頭まで行って釣りをしに行った帰り道、お互い釣れなかった横浜駅の赤い看板のまえで小銭を数えて、黄色い包みの弁当を一つ買ってくれたことは当時小学生だった俺の記憶にいつまでも忘れることなく刻み付けられているのです。

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そんなとっつあんも俺が中学に上がってだんだん悪くなるのを苦々しく見ていてしばらくして自宅に風呂を作ってしまって、そのあとは道でたまにすれ違うだけとなってしまったけど、ある日、「太郎、ちょっと家にこいよ」といわれて行ったとき、釣り道具を仰山もらったあとポックリといってしまったとっつあん。いまでもあの頃、北風が強い中、2人で海に向かって小便したとき、それが逆風だったために出た途端全部U字型になって小便が戻って来てびちょびちょになってしまったこと、なんとなく喧嘩っ早かったとっつあんにケンカの仕方を教えてもらったこと、「崎陽軒のシュウマイ」をたべる度に思いだすよ。その後、孫の未来くんに空手を教えて黒帯になるのまではあの頃はちょっと想像もできなかったけどね(笑)崎陽軒のシューマイ弁当はどことなくほろ苦い思い出の1ページを思いださせてくれる優しくて、温かい隠し味が隠されているのだと思う。おごってもらうだけで何も恩を返せなかったとっつあんを偲んで。

武蔵小山温泉しみずゆ若旦那談。

崎陽軒のシューマイ弁当の思い出。

崎陽軒シューマイ弁当 http://www.kiyoken.com/products/obento/shiben.html

こどもにサーフィンをさせたかったら。(武蔵小山温泉子育てブログ)


波にのるって素晴らしいのです!ふわっと押しだしたうねりから波にかわる瞬間、波との呼吸にあわせて自分もふわっと合わせるだけで、地球上でここにしかない自分と同じ波がひとつとしてない唯一の波とひとつになって波がまたもとの海にもどるまでその素晴らしい波を享受することができるのです。サーフィンそれは、遥か彼方でうまれた波は長い旅路の果てに永遠とおもわれていた波の命が波涛となって砕け散り昇華する瞬間、人はその波に生の終わり、そしてまた生まれ変わる為の生のはじまりを知らずのうちに波にのることによって生命に刻むことができるのかもしれないのです。ただ、海に抱かれるように浮かんでいるだけでもなにか心にかかえていたものが大海に溶けこんでいくような錯覚さえも感じる、海からあがってきたとき生まれ変わった自分を感じるのも海、そしてサーフィンのすばらしさなのです。

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さて、そんな海大好き、サーフィン大好きな若旦那ですが、じつか3人の子供たちはサーフィンをしないのです。そこで、あの手この手でサーフィン大好きボーイズ&ガールズにしようとここ数年頑張ってみたのですがなかなか思うようにならなかったのです。その理由は「サメがいるからこわい」「水が冷たい」「海がきたなくて何がいるかわからない」「くらげがいや」などなど、そこで何をしたかといいますと、とにかく「勉強」「受験勉強」「猛勉強」そう勉強をさせたのです!子供のなかで一番きらいな勉強!勉強ばかりの夏休み、そーっと耳元で「たまには海にでもいこうか?」とささやいてみました。すると「行きたい!」なにかこの雁字搦めの環境から逃れたい一心のような反応を示し、「ならサーフィンもしようか?」というと「したい!」勉強するぐらいなら、また勉強のし過ぎでストレスがたまりにたまっている子供心にはとにかく本能的に海、そして波にのりたい欲求がマックスになっていたのでしょう。さて海についてサーフィンビギナーの練習場所で有名な湘南腰越のビーチで普段は怖がっている子供たちが輝く笑顔で何度も何度も波にのろうと挑戦し、何度もパーリング(海に落ちること)し、そのうち自分でパドリング(水を掻くこと)して沖にでて波を追うようになったのです。長男は疲れたのかただサーフボードの上に寝そべって気持ちよさそうに漂っているのが、それだけでも最高に気もちいい!といい、長女はこんなにサーフィンが好きだったかとびっくりするくらい何度も波を追いかけ、パドルで戻ってくる、そして笑顔を笑い声のたえない楽しい親子サーフィンが江の島の片隅の腰越ビーチで繰り広げることができたのです。帰りは目の前の地元の漁師さんが経営している「しらすや」さんで美味しい地魚定食!帰りの車の中でが超熟睡!家についた時はすでに気持ちが入れかわっていて「さーこれから勉強だ!」「わたしは塾!でもなんだかスッキリした!」とサーフィン効果をすでに確認することができ、ここのほんとうの「文武両道」を実感することができました。もし、子供に何か自分の好きなことをさせたかったら「子供に勉強させよ!」と教えたてあげたくなった今年の夏の思い出でした。小学校時代まったく勉強しなかった若旦那より。

武蔵小山温泉清水湯温泉サーファー談。

風呂仲間!(武蔵小山温泉友情ブログ)


やはり人は独りじゃ生きられないのでしょう。何かを求め、そして何かを手に入れたとしても、友情だけはお金で買えるものではないのですから。また、子供の頃とくらべると大人になってからのは友達が作りづらいと言われています。何故かというといろんなもの、生き様であったり肩書きであったり、家庭環境、経済力、また、目の色、雰囲気、趣味など大量情報が一瞬のうちに子供の時と比べて判断できることも要因なのかもしれません。「竹馬の友」といえる友人はやはり財産なのかもしれませんね。さて、不思議なもので人は裸になると肩書きや、地位、名誉というものも脱ぎ捨ててしまう傾向性があるのかもしれません。

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飾るものがない、なので恰好つけることもできない、ありのままの自分、そういう裸のつき合いが出来る場というのは銭湯しかこの世に存在しないのです。あるとしてら見たことはありませんが秘密クラブの裸族クラブぐらいなものでしょう。しかしながら本当に老若男女庶民の気取らない場所で心と心を通わせることができるのはやはり街中の「銭湯」しかないのです。そん銭湯はではやはり其処彼処で「こんにちは!」「今日もいい湯だね!」「やっぱ仕事のあとは風呂にかぎるね!」「このあとのビールがたまんないんだよ!」「あんたいける口かい?」「じゃーこのあと牛太郎でもいこうかい!」なんて日夜新しい友とお風呂談義に、お風呂座談会、そして風呂仲間が自然とできてくるのではないでしょうか。人と人を結びつけるこの世知辛い世の中のひとつの曙光「銭湯」今日も新たな仲間、そして友達が生まれているのかもしれませんね。

武蔵小山温泉清水湯若旦那談。

平和がいいんです。(武蔵小山温泉平和だから銭湯に通えるんですブログ)


最近、本当にやなニュースばかりでいやになっつちゃうとおもいませんか?大体犯罪、戦争、テロの温床は貧困ときまっているのだから、軍事費をすべてあげちゃえばいいじゃんとおもいます。あっという間に貧困はなくなりくだらない戦争はなくなるんですから。金のための戦争これはやめましょう。昔見たオーメンという映画をおもいだします。ダミアン扮する悪魔が権力の象徴である大統領になって権力をつかって世界を破滅させていくそんなストーリーだったと思うのですが、そんなダミアンが今の世の中多すぎます。悪魔の心は誰の心にもあるでしょう。ただそれが顕在化するかしないか、それは東洋的に言えば「縁」や「機縁」というなにかしらの作用から善もうまれるし、悪もうまれる、だから平和教育が必要ですし、人間教育も必要になってきます。そのうえで心の羅針盤も必要でしょう。

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原因と結果という至極単純な法則からいえば、戦争しない、平和を創造する、幸せを求めるその地道かつ果断な行動力しかこのちょっと行き詰まりを感じる現状は変えられないのではとおもっています。机上の遊戯ではなく平和も戦い、それも無血の戦いが求められるようになってきたと思うんです。100人いれば100人がいろんな主義主張を言う権利があるけど、くだらない敵、味方の二元論だけでは本当に見た目いい人風のダミアンにこの世を乗っ取られちゃうんじゃないかな。銭湯でのんびり癒されることができるのも平和だからです。となりの焼肉和田さんで美味しい焼肉がたべれるのも平和だからです。林試の森でのんびりとウオーキングできるのも平和だからです。普段風呂に入って心の洗濯をしていると色々なことに気付く平和主義者の若旦那より。

武蔵小山温泉 清水湯若旦那談。

 

仁義なきカラン。(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


仁義なき戦いという映画をご存知でしょうか?むちゃくちゃ続編が続いて、「あれ、このあいだ松方ひろし死んだんじゃね」「あれまた新しいヤクザで生まれかわってる」なんてつっこみどころが沢山あるのです。主役はヒロノ演じる菅原文太。広島の抗争を題材にした任侠映画です。ケーブルテレビ品川に入ったとき連続で放映していてつい全編見てしまいました。さて、人間生まれたままの姿になると何故か本能が前面にでてくるといわれています。だからなのか遠山の金さんも任侠映画もいざというとき裸になることが多いのも頷けます。

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そんな裸だらけの銭湯では本能の坩堝と化してもおかしくないでしょう。裸イコール本能であればそこは喜怒哀楽がついつい出てしまうものなのです。でも銭湯のルールはただひとつ。それは「ゆずり合い」「思いやり」なのです。心と心のつながりを大切にすることが銭湯を楽しむことになるのではないでしょうか。銭湯はまさに「仁義ある銭湯」がこれからの正しいあり方なのです。仁義を慈悲に怒りを愛に変えてまさに愛の溢れ湧き泉のごとき銭湯にしていきたいものです。

武蔵小山温泉 しみずゆ 若旦那談。

武蔵小山温泉ボーイ!(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


昔みた映画で「ランブルフィッシュ」という名作映画があるのですが、これが超かっくいい!主演ミッキーローク。そしておなじく主演にマットディロン。本物の不良(ワル)がハリウッド俳優になっているのですが、そのストーリーはおそらく貧しい環境にいる主人公、そして毎日のようにペットショップに行っている。そこにいるランブルフィッシュ。じつは(別名ベタは狭い水槽のなかではオス同士戦ってしまう闘魚なのです)いつまでも見続ける水槽の中、そしてついにミッキーロークは真夜中のペットショップに忍びこみ「ランブルフィッシュ」を盗み出してしまうのです。そう一次元的にみたらこれは犯罪です。でもミッキーは何のためにランブルフィッシュを盗んだのか、それは広い海に帰そうとしたのです。

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狭い水槽に飼われた魚。狭いからこそケンカになる。でも広い海にいればケンカなど起きない。ミッキーローク演じる『モーターサイクルボーイ』弟のマットディロン(ラスティ)忘れてはならないのが永遠の俺のマドンナ、ダイアンレイン!この映画をみると何かが変ります。そう監督はフランシスのコッポラ!風呂の話ではないけどおすすめ映画、なにかが変ります!

武蔵小山温泉 しみずゆ 若旦那談!