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ポイ捨てファイナルアンサー!(武蔵小山温泉クソ喫煙ブログ)


まずタバコのポイ捨てこれは犬のクソのやりす捨てと同じということ。でもまだ犬のクソは最終的に土にもどるからまだましといえるでしょう。タバコのポイ捨てこれは最終的には海に帰ります。我が心の故郷であり人間の戻るべき母の胎内である海。ここに帰っていきます。あの南の空に輝く太陽が燦然と差しこむ波がしら、恋人と絆を確かめ合うことのできる美しい海。そして生命の源でもありまさに地球そのものそして人間そのもの。この大切な海に最終的にはタバコは帰っていくのです。その意味わかります?いまさら食物連鎖など講釈垂れる気はさらさらありません。

昨今マイクロプラスティックなど想像の上をいく環境破壊が存在していることに注目されていますがきっとタバコもまわりまわって人間に害毒として還元しているのでしょう。タバコのポイ捨てイコール自身の健康汚染、イコール愛する人の健康被害、イコール地球破壊。もうのど元につきつけられてますよファイナルアンサーを♪

武蔵小山温泉ポイ捨て歩き煙草クソ野郎ブログ。

受動喫煙の恐怖!こわー!(武蔵小山温泉クソたばこブログ)


中学のころなんの因果かむちゃくちゃ悪いガキだったころは遠い日の思い出。「太郎」という名は近隣の中学に知れ渡り、知らない奴に「太郎しってっか?」だどといわれ「俺だよ」っていったとたん逃げていく後姿に投げかけるように「弟は次郎ってんだおぼえとけ」などといわなくてもいいプライパシーアカウントをおしえる日々が続きました。いまおもうとなんであんなに出来が悪かったのか?今はナイスガイなのに。本当に不思議でなりません。そこでふと思いついたのが受動喫煙。ぼくのオヤジはそれはとんでもないヘビースモーカーだったのです。いまでも覚えているのですがオヤジがマージャン仲間のところに行くための口実に僕を連れていくことがよくあったのです。今でも覚えているのですが坂道の多い、武蔵小山から3、40分の所。多分港区のどこかじゃないでしょうか。後年、二十歳のころ車金融やってるオヤジの友達のところに行ったことがあってここだなと気がついたので。さて麻雀のじゃらじゃらしている音が耳の奥にいまだにのこっている僕。その4人の大人たちは麻雀に熱中するほどに部屋が真っ白になっていく横で汚いコタツの布団を鼻に押し当て必死でタバコの臭さと戦っていた4,5歳のころ今思うと途轍もない紫煙を吸わされていたのだと気がついたのです。亀田グループのポータルサイトにあるように以下参照。

知能・精神発達への影響

1.成長の阻害・知的能力の低下

タバコ煙には鉛が含まれており、身長の伸びが悪くなるほか、脳の働きを悪くして知能の低下を招きます。
⇒子供が11歳になった時の知的能力テストで、喫煙妊婦の子供は、非喫煙妊婦の子供に比べ3~5ヶ月分成績が劣っています。身長も0.5~1cm低下しています。

身長だけは当時、オヤジがベッドの脇に隠していたアルギニンZ飲みまくっていたせいか180オーバーになりましたが知能がややヤンキー寄りになってしまったのはこのためでしょう。喫煙する人の特徴としてここが喫煙可能であれば子供がいても権利として煙草を吸いきるところにあるからでしょう。マジで子供からしたらいい迷惑ですよ。本来吸わなくてもいいタバコの副流煙。それにより知能が下がるイコールヤンキーになる可能性が高まる。そんなアホなことないじゃいですか。そもそも少子問題が勃発している昨今。子供は国の宝です。タバコ吸ってマイルド(セブン)ヤンキーになるような環境作りなどせずに健康的な国作りをしてまいりましょうよ。健康的な子供たちのために。

武蔵小山温泉若旦那談

参照文献 亀田グループ http://www.kameda.com/patient/topic/nonsmoking/13/index.html

祝!受動喫煙禁止条例!(武蔵小山温泉糞煙草ブログ)


澄み渡る青空、差しこむブリリアンな太陽。どこまでもつづく道。きっと地域のきれい好きの住民がきれいに掃きはらってくれたであろう小山台一丁目交差点から小山台小学校脇の南に向いた一本道。でもよくみると掃き残った落ち葉とともに点在する犬の糞。昨今、野良犬は皆無だから散歩犬の脱糞だということは一目瞭然の脱糞仕立てのほやほや糞。ああ、うっかり踏むところだった・・・。あ!でも前から潔く走ってくるきっと腹筋バッキバキたぶんこれから六本木の有名女性トレーニーのいるジムまで走っちゃいそうなかっくいいランナーでもちょっとかっくよすぎて前見すぎ!そのままじゃ糞ふんじゃったコースまっしぐら!ああ!気がついて!そのストライドの先の厚底ナイキにああ!ふんじゃうーーー!----ああ、よかったーーーぎりぎりだった。でもああ!また前から!いつもライフまで朝ごはんを買いに行くあのおじさんまでかくしゃくと歩きすぎ!下もみて!下も!ととと!直前で車道を横切っていった・・・。

そうなんだよないつも横断歩道のないところを斜め横断していくんだよなでもよかった。そんな本来美しいこの小山台ライジングサンビクトリータートルロード(亀が二匹飼われて日向ごっこしている勝利運の上がる道と勝手に思っている)もじつにところどころに糞が転がっているのです。そしてよく見るとポイ捨てたばこも。僕的には犬の糞の後始末のしない人もタバコのポイ捨ての人も同じマナー違反の人。気持ちよく走っていながら実に点在する糞の脅威に脅かされているのです。これ自宅の目の前の道にタバコのポイ捨てされてたら本当に気分悪いですよね。側溝のドブに捨てればいいというものじゃないですよ。糞を植栽のなかに寄せて捨てるのとかわらない。いよいよ受動喫煙禁止条例が今春発動!実施されます。基本自宅以外では吸えなくなります。いつかポイ捨てがなくなる時代が訪れますように。

武蔵小山温泉 若旦那談。

おばあちゃんのおもひで養命酒ばーじょん(武蔵小山温泉思い出ブログ)


おばあちゃん歌子は清水湯の実質番長でした。オヤジもおじいちゃんもましてやオフクロもだれも逆らえなかった永遠の番長。本当の創業「菊太郎」が手塩にかけて育てた本物の銭湯の娘であり女将であったおばあちゃんは番台がとても似合っていた。多くの常連さんのお客さまをその笑顔で虜にしていたおばあちゃん。戦前10軒以上銭湯をもっていた菊太郎ひいおじいちゃんの後ろ姿を見て育ったおばあちゃんはどこか威厳があって頭の切れもよくて、オヤジがおじいちゃんより怖がっていた。おばあちゃんは毎日牛乳をコップ一杯飲んでいた。

そして夜寝る前に黒っぽいビンをおもむろに取りだしてキャップをコップにしてとくとくと注いで一気に喉に流し込んでいる風景をよく目にした。すると「太郎のみなさい」といわれておばあちゃんの飲んだ後のその赤っぽいキャップを手渡されて大事そうに注いでくれる濃い琥珀色の液体、ボトルには漢字で「養命酒」と書いてあったのを覚えています。命を養うお酒。子供なのにお酒飲んで大丈夫なのかなと思いながら一口含めるとものすごく甘くて漢方薬のような味。そんないつまでもおじいちゃんのために若くも美しくありたいと思い続けたおばあちゃんはどこか養命酒の味がするのでした。先日アマゾンで買った養命酒。今のんでもあまり美味しいものじゃないけど、パブロフの犬のようおばあちゃんの顔を思いだせるから今度銭湯の事で悩んだらまたキャップになみなみ満たして飲もうかなと思ってます。創業者菊太郎、初代じつきおじいちゃん、歌子おばあちゃん、二代オヤジそして三代俺。銭湯の血脈にはいろんなものが思い出の一ページになるものなんですね。

武蔵小山温泉 清水湯 若旦那談。

デイストレス!(武蔵小山温泉ストレスブログ)


日々の生活の中で蓄積される「ストレス」仕事、生活、子育て、通勤通学、家庭内の問題、気候、気がつかないうちに「ストレス」が溜まっていくものです。ピンポン玉も過度のストレスが当たり続くと元にもどらなくなってしまいます。逆に適度なストレスは小気味良く弾みしっかり元に戻るのです。そんなピンポン玉のように生きることにおいて降りかかるストレスは適度な圧力であれば心地いい人生の風波となって人生の帆にたくさんの風を集めて大海原を疾走するこもできるのです。ですが暴風雨のような風はへたすると海の藻屑になってしまう危険性も・・・。

ピンポン玉ではへこんでしまうストレスも軟球の球、硬球の球、それこそ砲丸投げの球に自分自身が変化するとびくともしなくなってくるのです。ピンポン玉で優しげな風で生きていくか、砲丸投げの球で暴風雨をもびくともしない強さを求めて生きていくかは人それぞれでしょう。日々の生活のなかで絶え間なく吹き続ける風。どんな風が吹こうと恐れない悠々自適の境涯で生きて生きたいものです。そしてストレスは必ずあるものその理不尽だけどストレスをも味方に変えていける生き方こそ、日々の「天然温泉」健康法じゃないでしょうか。日々のデイストレスを湯舟に流してしまう。常に蓄積されるならテトリスのようにそしてムーディー勝山の詩のようにどんどん右から左、上から下へと流してしまう。ストレスはたまりません。絶え間ないストレスとの戦い、その解決方法こそ温泉入浴なのでしょう!

武蔵小山温泉 若旦那談。

オヤジを忍んで(ことしは七回忌)(武蔵小山温泉若旦那ブログ)


2011年はとんでもないでっかい地震が来た年。そしてその後、寿命だったのかオヤジが死んだ年にあたります。そして今年が7回忌の年。ひいじいちゃん(清水湯の創業者)は北陸三県から東京にやってきておばあちゃんの歌子とともに田園調布に住んでいたらしい。そしてオヤジが生まれ育ったところは隣町の奥沢。地域の尾山台小学校。そしてそのまま田園調布高校、明治大学商学部、大学時代は民謡倶楽部を立ち上げて初代部長だったと聞いています。大学の近くでは雀荘を開いてけっこう羽振りがよかったらしい。その他に今も残っているらしいが銭湯ご用達の消毒剤(塩素系?)の会社を立ち上げてけっこう儲けたらしいが人に譲ったとのこと。こどもの頃から走るのが早くて毎日勉強を小刀で鉛筆が3センチになるほど削るまでしていたとよく聞いてました。速読で読書家でたしかに頭が良かった。オヤジの若いころを知っている人に話を聞くと大体オヤジが自分を称賛するように話していたことと寸分たがわない話がでるのでたしかに「神童」と呼ばわれていた節があります。

そんなオヤジ中晩年は「そううつ病」でずっと苦しんでいました。いやあまんじて苦しんでいた節があります。お天道様しか信じていなかったオヤジ。この一族に降りかかる「病魔」は自分一人が受けきってそのまま持ち去ってしまおうという慈愛に裏打ちされた思いがあったのではないでしょうか。生きることの素晴らしさ、努力の大切さ、その反面、病気の苦しさ、辛さ、切なさ、その両方を身をもって受け切っていたからこそどんな姿であれ「オヤジは偉大だな」と感じ入ってしまうのでしょう。オヤジがいなくなって7年。今、銭湯の直道を進んでいるぼくの姿をどうみているのでしょう。今思うことは病身でありながら有形無形にオヤジに守られていたなと気が付き、ただただ感謝の思いがふつふつと沸いてくることなんです。誰しもが生まれて死んでいく当たり前の時の流れの中、親と子という不思議な深い縁(えにし)は今もオヤジの優しげな笑顔がふっと瞼の裏っ側に浮かんでくるときなんだか熱いものまで溢れそうになるのはやはりぼくはオヤジの子供なんだなあとつくづく思うこの頃です。「オヤジみててくれ」なんて恥ずかしくていえないけど、ひょっとしてまたいつか会えることがあったときにすこしは褒めてもらえるような「銭湯のオヤジ」になろうと思いを新たにしています。

武蔵小山温泉 しみずゆ若旦那談

 

泣いて馬謖を斬る(泣)(武蔵小山温泉場所取りブログ)


「泣いて馬謖を斬る」ぼくの好きな三国志(吉川英治)の一節です。みなさまも一度は聞いたことがあると思いますが、その意味は「(蜀漢)の武将・馬謖が、街亭の戦い諸葛亮の指示に背いて敗戦を招いた。この責任をとり馬謖は処刑されることになるが、愛弟子の馬謖の処刑に踏み切るにあたり諸葛亮は涙を流した」とウイキにあります。馬謖(ばしょく)ちょっと馬謖って10回いってみてもらえませんか?ばしょくばしょくばしょくばしょくばしょくばしょくばしょくばしょくばしょくばしょくばしょくばしょとり♪いっちゃいますよね「ばしょとり」って、そうなんです。リニューアル10周年にあたり場所取り禁止追放キャンペーンをCIAの世論操作並みに強化したのもつい先日。「もうこないわ」と言われてしまいました。なんで誠意が伝わらないのだろう、なんでただお風呂に入るときに洗面道具をちょっと移動するだけのことなのに・・・。

悲しくなりました。おそらく常連様も長年来ていてなんで私だけ、なんでちょっとだけじゃないと思うところもあると思うのですが、常連様も一見さまもルールは一緒なのです。常連様が滞在時間3時間ほどですがその3時間ずーっと場所取りしていたらどうなるのでしょう?それがカラン数18しかないのに3人、4人と場所取りしたらどうなるのでしょう。「泣いて馬謖を斬る」「泣いて場所取りのお客様を切る」本当に悲しい限りです。ただ、場所取り、または「そこは私の席よ」と言われて悲しい思いをさせてしまう横柄なマナーは今後も取り除いていく所存です。素敵なお客様、心の優しいお客様が心から楽しんでいただけるそんな愛に溢れる銭湯を今後も築いてまいります。

武蔵小山温泉 風呂サーファー太郎(こんなペンネームはいかがでしょう?)

参考文献 ウイキぺデイア

俺たちはただの風呂屋になってしまう。(武蔵小山温泉雑談系ブログ)


「飛べないブタはただのブタだ」宮崎駿監督の映画ワンシーンの名言です。そう僕たち銭湯のオヤジたちはどこかで飛びたたないといけないのです。なんでもいいのです。嫌われたっていいのです。信念さえあれば、銭湯が人々のお役に立っているそんな確信を信念にかえて、今、自分に出来ることを実践する、そこにただのブタではない飛べるブタでもない、飛ぼうと足掻いているだけかもしれないけど、そんな一生懸命さがどこか人々の心を打ちつける、心のひだのどこかに素敵な印象として残る、どこか行ってみたくなる銭湯になるのです。銭湯でよくないのは付和雷同、護送船団方式、寄らば大樹の陰、長いものに巻かれろ的な現状維持から下り坂に耐えきれなくて転がっていきます的な経営精神状態。失敗してもいいのです。

自分が納得しているのなら、人じゃないし、隣の銭湯じゃないし、自分に生きるしかないのです。いいじゃないですか!自分がはいりたい風呂であれば。自分が気に入っていれば。自分らしい風呂とともに自分らしく生きていくことの方が大切なのです。一歩前に出るか出ないかそれがただの「飛べない銭湯のオヤジはただの銭湯のオヤジ」になるか「飛べる銭湯のオヤジ」になるかの違いなのです。勇気・・。その違いかもです。今日も勇気凛凛いい湯が沸きだっています。皆さまのお越しを心よりお待ち申し上げております!

武蔵小山温泉 三代目若旦那談。

銭湯の人間模様(武蔵小山温泉人生ブログ)


今はなき番台・・・。現在ではフロントになっています。そんなお客様との最前線。風呂屋なりの出来うる限りの接客を心がけています。お客様商売とひとことで言いますが、本当に番台(フロント)という舞台にいると沢山の人生模様を覗うことができるんです。いつもくる常連さんでも今日は機嫌が悪いなとか今日は疲れ気味だなとか、今日はなにかいいことがあったのかなとか、人と接する基本的な仕事が実はいい刺激となってるのです。「いい湯だったよ」「いい温泉だね」とか言って帰っていく姿はかすかに湯気を帯びていて清潔感と颯爽とした後ろ姿に希望の光明が射しているように見えることがあります。そして番台から聞こえてくるお客様の話し声は時おり心温まる会話もあるんです。

ぽつんと誰かを待っている老年の婦人。温かそうな半纏(はんてん)を着てどこか楽しそうにしている。時間を約束していたのでしょう。上気だった血色のいい顔のご主人が「まった?」といって隣にちょこんと座った。首をふる婦人。「おとうさん、ラムネのむ?」嬉しそうに頷きながら「のみたいね」と答えるご主人は、フロントにいた僕に声をかけてきた。「太郎くん、ラムネちょうだい」おもむろに足元にある冷蔵庫から一本のラムネを手にとった。ビー玉の栓を専用の栓抜きで力一杯押すとシュワってビンの中の気圧が抜けて発泡しながら注ぎ口から溢れてきた。「おじさんおばさん。はい、どうぞ」といって手渡した。近所の常連さん。毎日やってくる。いつも決まったように風呂上り夫婦で一本のラムネを仲よく分け合う。こんな仲の良い老夫婦になりたい。そう思った。

武蔵小山温泉 湯旦那(いまペンネームを検討中)

下剋上受験@武蔵小山温泉(武蔵小山温泉教育パパブログ)


乱世の時代。家臣が主家を倒す、または名もなき民が上にのし上がっていくことを下剋上といいます。いいネーミングをつけたなぁと去年の暮にこんなことが僕の知らないところで沸騰していたのかとビックリしました。なんといって僕の子供も下剋上受験だったからなのです。まさに6年生の追い込みの季節。このテレビドラマの予告が始まり、計画的に勉強しているからテレビ予約して毎週日曜日の朝ごはんを食べながら家族全員で見ました。でも僕はテレビが放映される前にさっそくアマゾンで小説と馬淵教室との協著テキストを購入。読み終えてなんと僕と共通項の多い事かビックリ。ちょう長女と同学年の可能性も。リアルタイムで進行している中学受験、長男はなかなかスイッチが入らず、このドラマを見て気持ちに変化が、なんでもう一年早く放映されないのかとちょっと残念がっていたのです。

中学受験・・・。子供に与える経験則としては大変に素晴らしいと思っています。花も咲く時期が異なるようにひょっとしたら今じゃなかったのかもしれないけどドラマにあるように「戦う敵との距離がわかった」ということばが本当に腑に落ちました。きっと大学は行きたいところに行けるんじゃないかなと思います。それはいい習慣がついたこと。そして志す方向性を見つけたこと。受験期間厳しい凌ぎ合いの中、勝ちえた合格の喜びは何物にも代えられない達成感!そんな経験を早い時期に出来たことは子供にとって最高の財産であり経験だったと思うのです。勉強、そして受験。小学生だからできること感じることまだ未完成だからこれでもかという大量の勉強をすることが「今」できたことが親と子、ともどもにいい経験になりました。息子は運動神経もいいので勉強だけが下剋上ではないとも思えるのですが、与えられた登るべき山に登る。そこが大事なのだと思うのです。挑戦することそれが大切なのです。中学受験は親力も試されると言われています。その通りだと思いました。親の成長。そこに感化され子供の伸びる。中卒の僕も沢山勉強させていただきました。僕も何かに挑戦したくなってきました。でもまだあと一年。次女の受験。あと9か月。まだ下剋上は続きます。

 

武蔵小山温泉 湯旦那(最近子供と勉強ばかりしていてお店にでれないのが悩みです笑)

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